やるせない時の回復法
時々、気分が優れない事があります。原因がはっきりと分かっている場合も、そうでない場合もあります。それを表現する言葉として、憂鬱、ブルー、やるせない、やりきれない、はぁ~(ため息)、なんかやだ、チョベリバ、等があります。後半はあまり使われませんが、実際に聞いたことがあるので、リストアップしました。ため息はよく使われますね。僕は、今、まさに、気分が優れないのですが、体調が悪いわけではありません。むしろ、すこぶる元気だと感じます。しかし、身体が重く感じますし、考えることに集中できない日々が続いています。そうですね、強いて言うなら、やるせない、が好きですね。別に憂鬱と言っても、チョベリバと言っても、僕の状態には影響はありませんので、何でも良いのですが。理由は、実ははっきりしていて、仕事のことです。もやもやしています。それでいて、やきもきしているかもしれません。ややもすると、うきうきしているかもしれません。これだけひらがなを続けるアラフォーの日本人は珍しいのではないでしょうか。仕事って何だろう、と今更ながら考える事があります。帰結は、お金のためですが、仕事に対して、何か(例えば、やりがい)を期待してしまう自分がいて、それが裏切られたときに(実際には、裏切られたわけではなく、自分の妄想ですが)、今のようにやるせなさで感情を支配してしまいます。これが結構、面倒な人格で、なかなか消え去ってくれません。もともと根暗で、友達と遊んだり、遊びに行って発散する、という考えが無いからかもしれません。発散するということは、自分の中から外に出す、という事ですから、何かもったいない気がします。それなら、自分の中で消化してしまい、糧とした方がよろしいのではないでしょうか。消化するには少々時間はかかりますが、熟成すれば、素敵な味わいが出てくるかもしれません。消化するということは、時間が解決することであり、特段、何かをする必要はありません。しかし、少しでも気落ちを和らげる方法として、僕はいつも通りの事をやるようにしています。当たり前かもしれませんが、それが最も精神が落ち着くような気がします。精神状態を定量化できるものとして、心拍数や呼吸の速さ等がありそうですが、データは取っていませんので、相関はわかりません。最も重要なのは、自分がどう感じるか、ですから、普段通りの生活をして、精神も平常になるように心がけます。こうやって、状態を表現してみる、というのは一つの解決策かもしれません。客観的に自分の事を見つめて言葉に、或いは絵に、または音に変換することで、何か作品が生まれる気がします。子供たちを見ていると、よくわかります。楽しい事を描くときも、悲しい、どんよりとした雰囲気を描くときも、描いている時の表情は真剣ですし、感情が、顔や仕草には表れていません。あくまで、僕が見た時だけですが。鼻歌を歌いながら描く時もありますね。あれは、また別の表現方法ということにしておきましょう。整合性がとれませんでした。とにかく、気落ちしているからといって、何事にも手を付けずにおくのは、勿体ないというか、逆に、その状態を、出来れば文化的に表現できる方法を、自分なりに見出すことで、気付いたら精神が安定しているように思います。ただ、これはあくまで自分自身のコントロールです。仕事では、少なくとも僕の環境では、多くの人との関わりがあります。周りの状態が変化しないと、僕がどれだけ自分をコントロールしても、仕事に行ったら結局、同じ状態になります。わりと、鈍感だと自覚しているのですが、それでも憂鬱にならざるとえない状況なのです。決して、会社の経営不振ではありません。一部の部署の問題なのです。そこに、僕が所属している、という話です。嫌なら、辞めれば良いのですが、このまま、放っておくことは、恐らく自分への不幸も招くことでしょう。決断できるかどうか、もう少し考慮すべきだと、僕の中の一人が叫んでいます。さて、サクラは満開。風が吹けば、ひらひらと花びらが舞い、幻想的な雰囲気の中を歩くことができます。自然は、嘘をつくことがありません。美しいばかりではなく、時に厳しくもあります。しかし、それらすべてに、理屈があるのです。解明していない部分もあり、研究者が毎日、少しずつ謎を解明しているようです。僕は、毎日、自分と言う謎に向き合って、試行錯誤をしています。少しずつですが、謎は減ってきている気がします。まだまだ、未知なる部分もあり、つまりは伸びしろとなります。それを知る楽しみというのは、精神安定剤でもあるのです。エイプリルフールは、会社で、見事に騙されました。その内容がリアルすぎて、すっかり信じてしまいました。ここでは書けませんが、そういう事を言える先輩の度胸は大したものだな、と思った次第です。
