• 雑談

    断つことによって得られるものとは何か

    昨日は、川の上流側で非常に激しい雨が降り、水が酷く濁ったため、自宅付近の浄水場の処理が追いつかなくなり、市内のほとんどのエリアで断水となりました。しかも復旧の目途が立たないという状況です。夜中に、広報のお知らせが流れ、断水の可能性があるとは知っていましたが、まさか本当に断水するとは思いませんでした。午前11時に、職場で断水開始となり、設備は全停止しました。主要のエアーコンプレッサが水冷式で、水道水を利用しているため、ほとんどの設備がその影響を受けた格好になりました。とはいっても、見た目の恰好は全く変化がありません。ガソリンは入っているのに、タイヤの空気が抜けて走ることができない自動車みたいなイメージです。それから、作業が無くなってしまったので、作業員は全員待機となりました。やる事はあるのですが、生産とは直接関係ない部分ですから、それほど気合をいれる必要はありません。定時までのんびりとすごしました。困ったことは、トイレや飲み水ではなく、お風呂でした。作業後は、非常に汚れるので、会社のお風呂に入って帰宅するのが当たり前になっていたのですが、水道水が使えないので、お風呂もシャワーも使用不可でした。しかし、この状況で一日くらい風呂に入れないくらいで文句を言うのは、あまりにも自分本位ですね。実家が隣町なので、そちらは断水していないとの情報があったので、そちらにお邪魔して、お風呂に入ろうと考えて帰宅したら、給水タンクの水が残っていたので、シャワーを浴びることが出来ました。感謝ですね。断水によって、日頃当たり前に使える水のありがたさを知ることができます。逆にこういう機会がないと、なかなか顧みることが出来ない、というあたりで自己嫌悪する部分もありますが、それだけ豊かな生活を送っているということだと言えます。その点についても、ありがたい事だと認識しなければなりません。実家に行ったら、当たり前の生活を送ることが可能であり、断水という現実から逃れることができました。夜になると、雷が近づいてきて、大きな雷鳴を轟かしていたのですが、娘たちがとても怖がっていました。今のようなハイテク社会でも、未だに「雷さんにおへそを獲られる」という情報が伝わっているのです。面白いものだなあと感じますね。迷信と言えばそれまでですが、そういう考え方が、身を守る事もあるのかもしれません。しかし、生きていく上では、科学的な情報を出来る限り取り入れて、その中で信条を見つければ良いと、子供達に伝えたいのですが、それが難しい。言葉で伝えたくても、言葉に力がないために、伝わらないという残念な状況です。であるならば、しつこいかもしれませんが、繰り返して伝える事で、脳裏に焼き付けさせる、という不本意な形で取り組んでいかなければなりません。さて、どうなることでしょうか。