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太陽がくれた羽根
もう2月も終わろうとしています。明日からは3月ですね。今春はどのような花に出会えるのでしょうか。楽しみにしておきましょう。すでにイベントは2つほど確定しています。それらも、思い出として、花が咲くことでしょう。今では、もう待ちきれない、という事はありませんが、子供のころは、とにかく待つことができませんでした。例えば、クリスマスプレゼント。欲しいものを伝えると、しばらくすると、クリスマスツリーの下に、それがラッピングされ、置いてあるのです。しかも、1か月くらい前に、です。目の前にあるのに、「お預け」をしなければならないなんて、なんて不自由なんだ!と感じたことを今でも覚えています。そして、少年がとった行動は、こっそりとラッピングを上手に剥がし、箱の蓋を開けて、中身を覗いていたのです。その時は、ゾイドという組み立てるオモチャでした。どんなパーツが入っていて、どのように組み立てるのか、説明書を見て、想像を膨らませていました。頭の中ですでに組み立てていたのです。我ながら、想像力豊かな時代があったのだな、と感無量です(変な文章)。そうやって、両親の目が離れる隙を見つけては、ラッピングを剥がし、箱を開けていたので、少しずつ包装紙はくたびれ、箱は蓋が閉まらなくなっていきました。明らかにサンタさんの贈り物ではない状態でした。サンタの倉庫からの贈り物でしょうか。失礼しました。両親もそのプレゼントを見て、気づいていたことでしょう。せめて、クリスマスイブくらいにツリーの下に置いてくれれば、いくら僕でもそんな早まったことはしなかったはずです。これは立派な責任転嫁ですね、けしからん。このけしからん、という言葉はあまり聞かなくなりました。父は、たまに使いますね。年代モノでしょうか(父が、ではなくて言葉がです)。日本語も少しづつ変化しているようで、今の若者言葉にはついていけない、という中高年は大勢いると思いますが、辛うじて会話は成り立つので、それほど手を揉まなくても良いのではないでしょうか。言葉の乱れを指摘する人も大勢いますが、テレビの影響が大きいのかな、と想像します。結局、人の注意を向けたい、という欲求から、様々な言葉遣いが生まれているのですね。どうしたら若者が振り向いてくれるか、お年寄りにはどうやったらウケるのか。そういった分析の結果であり、ビジネスとして生まれてきた言葉たち、としておきましょう。昔の日本語にも、当然流行り廃りはあったでしょうし、新しい言葉は若い世代が生んできたのではないかと思います。言葉は、その時代を表すものであり、変遷するということですね。しかし、言葉とは面白いもので、今までに、大量の書物が発行されたり、ラジオやテレビで流れたり、インターネットで記録されたりしているのですが、まだ新しい表現が現れるのです。今後、言葉はどのように移り変わっても、柳になったつもりで受け止めていきましょう(表現が古い)。6歳の娘が、「これウマッ!っつーかヤバッ!」って言っても、笑顔でうなずいてあげるくらいの器量が大人には必要だと思われます。若い人たちの近くで「はて、どうしたものか」などと口ずさむと、訝しげな視線を注がれることでしょう。いや、もしかしたら10年後、この「はて」が若者に流行るかもしれませんね。
Fairy arrival 今日もオーストラリアから。ケーブルビーチという場所で2008年9月18日に撮影しました。モデルは、妖精のような奥様です(精一杯の表現)。写真についてあまり説明するのもどうかと思いますので、それについてはタイトルに凝縮しました。羽根を得た彼女は、この後、飛んで行ったのか、と言おうとした貴方、そんな訳はありませんのでご安心を。ちゃんと地に足をつけて生活しています。このシーンは、奇跡的に生まれたのではなく、彼女の軌跡によって生まれました。