遥か上空は常にファイン
子供達は週末になると、義父母の家にお泊りに行きます。金曜日の夜と、土曜日の夜の2連泊です。距離的には5kmくらいでしょうか。車で10分ですからすぐ近くなので、何かあればすぐに迎えに行けます。そういう安心感もあって、毎週のように通うようになりました。最初のうちは、そちらの家は昔ながらの日本家屋の間取りで、広くて走り回れるし、外に出れば、すぐ裏には広い空き地や畑があります。天気が良ければ外でも自由に走り回れます。自宅のアパートの近辺では、車通りも多く、屋内も狭いので、開放感は全くない事でしょう。僕が子供の立場でも、義父母の家の方が楽しいと思う事でしょう。都会暮らしが悪い、とは思いません。しかし、田舎暮らしでしか味わう事のできない感覚は、子供のうちに体験しておいてほしい、という想いがあります。というのも、僕が幼少期を田舎で暮らし、そこで経験した事が、今になってかけがえのない時間だったと思える節があるからです。そういう考えを子供に押し付けるつもりはありませんが、知らないよりは知っておいた方が良いだろう、と考えてのことです。週末は親元を離れてノビノビと暮らしているので、色々と知恵をつけてきている事も手伝って、親の言う事は聞かなくなりつつありますが、精神的には成長しているように感じられます。義父母に対して、毎週のように面倒を見ていただいて申し訳ない気持ちがありますが、義母が最近退職され、「いつでもおいで」と言ってくださるので、お言葉に甘えている現状です。奥様にとっても、週末に自分の時間が出来るので、それが待ち遠しい時もあるようです。時間は貴重ですからね。昨日の土曜日は、子供たちが急に「泊まらない」と言い出したのですが、それを聞いた義父母は「淋しいなあ」と嘆いておられました。それくらい、孫たちの存在が近くなっているのかな、と感慨深くもあります。実家では、短い期間でしたが、祖父母と暮らしたことがあります。小学6年生から中学3年まででしたか。事情があり、祖父母は北海道に行き、それから会う事はありませんでした。時代劇が好きで、中学生の時は、毎日のようにお邪魔して、テレビを観させてもらっていました。母方の祖父母は、小学3年生の時でしたか、一度だけお会いしました。うす暗い和室に案内され、戦争の話を聞きました。国から贈られた賞状、盾などが鴨居のところに飾ってあり、「戦争が終わって生きて帰ってきても、国は何もしてくれなかった」という一言を今でも覚えています。その時は意味が理解できていなかったはずですが、祖父の話というか言葉が、それだけインパクトが強かったのでしょう。子供心ながらに、「戦争は悪い事なのだな」と教えられたのです。母方の祖父母にも、会う事ができて良かったと思います。たった一言でも記憶に遺る言葉というのは、生きている情報です。死んだ情報ばかりを消費している生活に疲れると、おじいちゃんの言葉をふと思い出し、「元気でやっていますよ」と空を仰いだりしています。親の言葉ももちろん脳裏に焼き付いていたりしますが、たった一度の出会いで、その会話が記憶に残るというのは、凄い能力だと思いますが、その能力が仕事になると、何故に最大限に発揮されないのか、自分の限界というものはどの程度なのか、イマイチ計り知れない部分があります。それを含めて個性なのかもしれませんが、自分の記憶領域は、コンピュータのように要領が与えられ、その限界までは、一度記録したら忘れないような、そんな頭脳になってもらいたいのです。そうすれば、テストというものは、発想を問う問題だけになりますから、もう少し勉強も楽しくなることでしょう。最近、学校によっては、テストにインターネットに接続されている端末を持ち込みOKにしているそうです。問われているのは、知識ではなく、発想だという事ですね。素晴らしい取り組みだと思います。少しでも早く、詰め込みはほどほどに、創造的な学びを子供達に与えられるよう、社会が変化していくことを願うばかりです。願ってばかりですが、沢山願い事をしておけば、どれかは叶う可能性がありますからね。今日も子供に七夕の願い事を書いて欲しい、と短冊を1枚渡されたので、「世の平安を祈る」と書いて渡しました。今年こそは晴れると良いですけれど、実際には雲の上は晴れていますから、毎年彦星と織姫は会っているはずです。こんなことを言っているから、願いが届かないのでしょうね。
