• 雑談

    模範あるいは光となるか

    模様替えをしてから、生活の変化を観察しています。子供達の部屋を設けた事によって、小学2年生の長女は、宿題が捗る様になったみたいです。次女は、長女が一生懸命に宿題をしているので、自分の机に向かって、何やら怪しい歌を口ずさんだり、保育園で覚えてきた歌を歌ったり、呪文のような言葉を唱えています。以前までは、リビングのすぐ横の部屋でしたから、勉強しようとしてもテレビの音が気になったり、おもちゃで遊んでいて、少しでも散らかると奥様に「片づけなさい!」と叱られたり、見ていてかなり不自由な感じでした。環境を変化させることで何が起こるのか、正直期待はしていませんでしたが、今のところ、良い方向に物事が進んでいるように観察されます。奥様も、リビングが散らかることが無くなったので、気が楽になったことでしょう。強いて難点を挙げるとしたら、僕の小さな書斎が無くなってしまったので、ピアノの練習が落ち着いてできなくなりましたし、このブログの記事を書いている時も、周囲の視線が気になる様になりました。周囲と言っても家族ですし、決してこちらを見つめている訳ではありませんが、子供達はおそらく「この親父は何を一生懸命やっているのだろう?」と不思議に思うことでしょう。もう5年も過ぎれば「キモッ!」の一言で済まされてしまいそうです。それでも僕は全く構いません。父親としてあーだこーだ、とは言いたくありません。ただただ、健やかに育ってくれれば、ありがたいと思っています。出来る限り迷惑を掛けないように、知的好奇心に恵まれて、穏やかに生きて欲しい、という願いはあります。これは、子供達だけを対象としているのではなくて、全世界の人々におかれても、同様にそうであってほしい、と願っています。もっと簡単に言えば、平和に過ごしてほしい、ですね。争いはやめましょう、と古の時代から人々は叫んできている筈ですが、一向にその気配はありません。結局、その争いを子供達が見てしまうのです。大人が示していることが、一体どれだけ模範となり、光となっているのでしょうか。世界各地で起きている争いに対して、僕一人で出来る事なんて、たかが知れています。いえ、何の抵抗ともならない事でしょう。しかし、せめて、自分の子供達の目には、楽しく生きているように映るよう、精一杯、やりたい事を見つけて取り組んでいこうと思います。それが奥様から見ると、時には滑稽に映るようで、「何を目指しているの?」と聞かれることがあります。僕の答えは簡単で「何も目指していない」です。ただ、何か楽しそうな事が待っていそうな「予感」がする、というだけで行動をしています。具体的に、何か計画を持っている訳ではありません。ただ、今、自分が取り組んでいることが、将来的に科学反応を起こして、新しいモノが産まれるのではないかな、と漠然と夢見心地でいます。さて、奥様には以前からご自身の部屋がありません。机もありません。テレビの前が、彼女の領地です。僕はほとんどそこに立ち入ることがありません。邪魔をしないように気を付けています。こうやって、多少なりとも気を遣うことが、自然にできるようになってきたので、少し丸くなってきたのかな、と思う事もあります。メタボの話ではありません。胴回りは確かに丸くなりましたが、この夏で絞る予定ですから、問題はありません。さあ、今年も水着は露出の少ないラッシュガードの出番ですね。あれを着ていれば、お腹を気にしなくても済みますから、良い商品が出てきたと感謝の気持ちで一杯です。模様替えという労働はとても疲れますが、その後の快適さは、暫く続くので悪くはないですね。

    好きな事をやろう