雑談

黄昏ハンドメイド

今日(書いているのは14日の事です)も、とても晴れやかな一日となりました。気温は暖かく、春の陽気ではないか、と感じられるほどでした。実家にお邪魔したのですが、日中はストーブを使わなくとも過ごす事ができました。有難いことです。おかげさまで、身体を少し動かすだけで温まり、燃焼効果も促進されたもようです。後期高齢者の父も、陽気につられ、活発に動いていました(とはいえ、主に座っての作業ですが)。この日は二階にある書斎の整理整頓が目的で不要となった書類を処分しました。また、昨年末に大量の書物をある所に贈呈したので、ガラガラになった棚を運び出し、部屋の掃除をしました。間取りは10畳ほどの長方形で、南側に180㎝の掃き出し窓があり、ベランダはありません。北西側に片開きのドアがあります。西側の壁面からは90㎝ほど離れた位置です。部屋の中央には、幅2m強、奥行き1mほどのデスクがあります。これは父のお手製。東西の壁面は、高さ180㎝の書庫が置いてあり、南側の壁面にも書物を置くための高さ120㎝くらいの棚がありました。この、南側の棚も父のお手製でしたが、それを解体しました。電動ドライバでひたすら木ネジを外していくだけですが、恐らく100本近く使われていました。その木ネジの配置を見ていると、意外と几帳面である事が伺えます。これには思わず感心して「お父さんは几帳面だね」と、感じたままの感想を伝えました。父は謙遜して「ははは、そんな事ない」と笑っていましたが、かなり安全面を考慮したことは、素晴らしいと思います。ホームセンタで購入できるプリント基板の本棚より、このお手製の棚の方が、費用も手間も掛かっているはずですが、それだけの価値があると思うと、解体するのは惜しくもありました。その想いは、父の方が強いはずですが、おくびにも出さず、淡々と作業を指示し、また、こなしていました。時代の変遷とは、このような部屋の整理からでも感じ取ることができます(誇張?)。20年以上前に集めた、何かの資料などもあったようですが、それらも処分の対象となったようです。高度なIT化が進んでいると言われている昨今にも関わらず、このように紙の情報を仕分けする姿を見て、なんだか寂しくも感じました。せっかく収集した情報たち。父にどのように吸収され、発散されていったのか。それらを残しておくだけでも、何か新しい知見が得られるのではないか。新しい発想の糧となるのではないか。椅子に座り、黙々と資料の仕分けをする父の背中に、掛ける言葉が浮かびませんでした。まがりなりにも、情報技術者の試験を合格した人間として、ゴミ箱に投げ入れられていく情報に対して、何もしてあげられないのが申し訳なく感じました。やや感傷的になった作業ですが、その後は父と少しドライブとショッピングをして気分転換が出来ました。帰ったら、また整理整頓の続き。とりあえず、南側の棚が運び出され、掃除も済んだので、部屋がとても広く感じられるようになりました。中央に鎮座しているデスクも、後日解体の運びとなります。まだ書物がデスク周りにあるので、それらの仕分けが済んでからとなります。父がデスクや棚を自前で拵えるところを見ているからか、僕もデスクは自前で作成したものを使っています。元々は、娘たちのために作ったのですが、もう不要となったそうなので、譲り受けました。ただ、そのままだと高さが60㎝と低いので、10㎝ほどの2×4材を、机の足に木工用ボンドで接着して底上げをしました。その接着部分を横から蹴ったりしたら、簡単に折れると思いますが、そんな粗相をするような人は、いないだろうと希望的観測のもと、使用しています。既製品でなければ、このように自由度が広がるので、楽しいと思います。見栄えは、お世辞にも恰好良い、とは言えません。底上げした部分は色も違いますし。ただ、自分が気に入っているかどうか、という点では、これほど愛おしいものはありません。休日は、何も予定がなければ、ずっとその机に向かっています。父も、自身で拵えたデスクにどれだけ向かっていたことでしょう。そこで何を学び、何を記したのか、計り知れません。解体する時に、色々と話を聞こうと思います。

机上で生まれるアイデアたち