百聞を恐れるべからず
昨日の続きのような内容になりますが、水族館や動物園、博物館などに訪れた時に、展示物だけを見て満足して帰る自分が常でした。それについての説明を読むことはほとんどしませんでした。その理由としては、イメージが記憶に残れば良い、と考えていたからだと思います。しかし、今回、じっくりと説明文を読んでみる事で、何か新しいモノに触れることが出来たような感覚があります。決して新しい情報ではありません。ただ知らなかったというだけの話ですが、しかし、自分にとって、これほど実になる情報は、ないのではないか、と考えさせられました。百聞は一見に如かず、という故事があります。確かに、多くの情報を耳から取り入れて、イメージへ変換するよりも、実物があるならそれを見たほうが、形を認識することに関しては合理的です。しかし、その生態、付随する情報などは、見ただけでは伝わってきません。現代においては、何事も合理的に進めていこうとするあまり、百聞して想像を楽しむこころを失いつつあるようです。それに、百回も説明をされたら、そこそこ仕上がったイメージになるのではないかと思いますが、どなたか実践された方はいらっしゃいますか?例えば、自動車について、百回の説明を受ければ、何となく、箱があって、下にタイヤが4本付いていて、箱の中にはエンジンがあり、何やら燃料を使って高速に回転し、その力を利用してタイヤを駆動させる。また、ステアリングという機構によって、タイヤの向きを変える事ができ、舵をとることが可能である、というくらいは理解できそうです。もちろん、知っているからでしょう?と言われたら、それまでですが。小学生の娘にこれを説明しても理解はできないでしょうね。しかし、百回も説明すれば、かなりプレゼンテーションとしては完成されたものになることは疑いようがありません。聞く側も、忍耐と想像力の豊かさを学ぶことでしょう。つまり、双方にとってプラスとなると言えます。こうなると、当初の伝達という目的を見失いがちですが、コミュニケーションにおいて重要なのは、伝達というよりも、お互いの関係性を知り、高めあう事だと認識しています。よろしいのではないでしょうか(何が?)。さて、水族館では、展示物が収められている(もちろん、9割は生きています)水槽の前から少し離れて立ち、邪魔にならないように説明書きを読むと、次々と他の人が水槽の前を入れ替わり立ち代わりで流れて行きます。子供たちと奥様にしても、最初の展示物の説明を読み終わったら、姿かたちも見えませんでした。やれやれ、と思っているのはきっと奥様の方でしょう。僕はマイペースで進み続けました。さすがに痺れを切らしたのか、途中で「ごはんですよ」と呼びにきたので、素直に従いました。ですから、全てを読むことは叶いませんでした。しかし、これで次回も楽しむことができそうです。
