哲学?

人間は葦なのか

いよいよ、2019年の仕事が始まりました。とはいえ、家では毎日何かしら仕事(食器洗いとか洗濯とか・・・)をしていますから、特に感慨深いことはありません。目覚ましが鳴ってから、自分の感情をシャットダウンして、起き上がり、準備をして出勤。頑張ろう!とか、一生懸命やろう!などと気張ってしまうと、とたんに気分が落ち込んでしまいます。無理している自分が嫌いというか、何か意思とは異なる行動を起こす事が苦手ですね。それならば、平静を保って、冷静に行動をしたほうが、負担が少ないだろうと考えて、そのようにしています。学校では、感情論を学ぶ場面もありました。運動部ではなくとも、「やる気をだせ!」とか「頑張れ!」という叱咤激励は受けてきたことでしょう。それによって、どういう効果があるのか、実証されているのかは不明ですが、少なくとも、大きな差は無いのではないか、と今では考えます。いくら頑張っても、長距離走は早くならないし、足の痛みが減るわけではありません。耐える、という状態になった時に、必要なのは、どの部分に問題があるのか、それに対して現状で何ができるのか、という点を冷静に考えてあげる事で、僕の場合、ある程度「辛さ」は緩和されるように思います。ただ、緩和されるだけで、限界点が変わるわけではない、という認識は持ち続けなければなりません。「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉の通り、冷静に考える事で、自分の感じている痛みとか辛さを凌ぐことができるのです。ともするとパスカルの「人間は考える葦である」という有名な言葉は、「人間は考え方によっては葦にもなれる」とパロディが完成するわけで、それは、きっと理解するのは困難でしょう。意味が判りませんからね。しかし、そもそも考える事は意味を持たない、というのがその言葉の本質であるように捉えていますので、言い方をどのようにパロディしても、問題はないかと・・・パスカルといえば、圧力の国際単位であり、天気予報でヘクトパスカルという単語をしょっちゅう聞きます。一昔前は、ミリバールという単位でした。なんだか宝石の名前でありそうですね。天候を知る事は、生物においては非常に重要であります。時には、それにより行動を決める必要があります。雨が降るか降らないか、台風はやってくるのか、雪は降るのか、湿度は何パーセントか、などなど。農作物を育てている人たちは、特に注意して天気予報を見ているように観察できます。そういう人たちを身近で見てきたので、僕もそれなりに天気予報は見るようになりました。旅行に行くときに、目的地の気候によって、どんな服装をするのか、と考える事は、とても重要です。余分な荷物を減らしたいし、かといって、寒くて上着が必要なのに、持っていなければ、旅どころではありません。街中であれば、服はお手軽に購入できますが、例えば砂漠地帯や無人島を観光していたら、何ともできません。前もって計画的に、というコマーシャルが思い浮かびましたが、天気予報をリアルタイムで、当たり前のように見る事ができる現代は、とても素晴らしいと思います。あとは、どうやって活用するのかですね。考えすぎて、葦にならにように気を付けましょう。

岩の影がワニに見える