ジョークが思い浮かばない
勤め先の会社では、クリスマス前になりますと、チョコレートを買いませんか?という案内が各部署に届きます。これは、売り上げが福祉関係に募金されるという事で、申し訳程度に社会貢献できるという幻想を買う事ができるのです。幻想と言いましたが、事実、購買者に対して、利用明細を後ほど渡す訳ではありません。何に使っているのか、知る由もないのです。そんなチョコレートを、3種類を2箱ずつ、計6箱も購入してしまいました。というのも、申し込み期限を間もなく迎えるというのに、購入希望者の欄が空白のままだったので、なんだか悪い気がして、ついついサインをしてしまいました。毎年、他の誰かが名前を書いていたのですが、今年は僕だけでした。そのチョコレートが先日届き、渡されました。バレンタインチョコレートに比べたら、非常にお値打ちだと思います。大きな紙袋に6箱が詰め込まれていました。申込書でイメージを見た時は、器が可愛らしく見えたので、子供にプレゼントしようと考えていたのですが、実物を手に取ると、それはお世辞にも可愛く見えませんでした。これではプレゼントにもならないだろうから、コーヒーと一緒にいただこう、と急遽自分へのご褒美を与えてしまいました。帰宅して、チョコレートを買った旨を伝えると、妻と娘二人の目が突然輝き、それを導いた主人をそっちのけで、物色を始めました。「これは私が食べる!」「これは先日、お友達にお土産をいただいたから、そのお返しにしようかしら」「はやく食べたーい!」などと、小鳥のさえずりのように、思い思いに口を開き、言葉を発していました。そんな折、威厳をたっぷりと込めて「オホン!」と咳払いをして「これはパパが食べるから、他は好きにしなさい」と、一番小ぶりな詰め合わせを選びました。まさか、こんなに喜んでもらえるとは思わなかったので、瓢箪から駒でした。いや、棚からぼた餅でしょうか。いえいえ。ここは、牛にひかれて善光寺参りでしょう(意味不明)。まぁ、寝耳に水ですけどね。間違えて、ミミズにノミ、とすると何とも言えない哀愁が漂う言葉になります。気を付けましょう。そもそも、事あるごとに、ことわざを発する人は煙たがられることでしょう。最近の若い人は(常套句ですが)あまり使わないのではないかと思います。オヤジギャグと同じくらい、受け入れられないことでしょう。そうなると、一体、どうやってコミュニケーションを取っていけばよいのか、不安でたまりません。娘が中学高校になると、友達を家に連れてくると予想されます。その時、ジョークの一つでも発してやろうか、と思いますが、それを聞いて二度と来たくない、と思われたら娘に合わせる顔がありません。今からそんな心配をしています。いや、むしろそれが一番心配です(ジョークです)。さて、買い過ぎたと思っていたチョコレートが、あっという間に消費される気配で、なんだかとても有意義な事をした気分になりました。奥様に「来年も購入しましょうか?」と聞いたら二つ返事で「よろしく」とのことです。こういう時、ついつい業務的に「了解」と返事をしてしまいますが、もう少し気を遣って「なんくるないさー」とか「御意」と返事をしたら、笑顔の一つも生まれるかもしれません。まあ、言いませんけれど。ジョークというのは不思議で、後から会話を振り返った際に「こういえば、面白かったかも」という事がままあります。オンデマンドで、その発想が生まれていたら、もう少しコミュニケーションが楽しくなっていたかもしれません。こういう時、振り返れば奴がいる、とは言いませんね。今日はこれくらいにしておきましょう(逃走)。
