ミラクル・コピペ
本日は、少し趣向を変えて、数年前に書いた文章を掲載してみます。このブログでは使っていません。
「真夜中の疑問」
2日間のシルバーウィークは、板取川温泉オートキャンプ場で過ごすことになりました。家族で初めてのオートキャンプです。テントの設営に手間取りましたが、天候に恵まれて、楽しく過ごすことが出来ました。
キャンプ場では、21:00頃の消灯が一般的のようですが、キャンプファイヤ(といってもBBQコンロの火ですが)目の前にして、そんなに早く寝床に着くなど、僕にはあり得ないのです。暗闇に包まれながら、残った食材を適当に焼きつつ、火の暖かさを感じ、川のせせらぎを聴き、星空を眺め、コーヒーをいただく。そんな時間の過ごし方です。他にやることもないですからね。その時にふと疑問が浮かんだのですが、
「人は、何故キャンプをするのか?」
主語が非常に適当ですが、ここでは、当然キャンプの経験者、または行きたいと思っている集団のことです。
キャンプというのは、普段の生活に比べれば、基本的に不便です。寝床の設営、火起こし、照明の確保、虫よけ、食事の準備、食品の保管などには気を遣います。水場はトイレ、風呂を含めて共有。これまた気を遣います。
その不便な時間を、わざわざお金を払って過ごすのです。何が得られるのでしょうか?解放?安心?充足?懐古?幸福?どれもシックリきません。日常に比べれば非常に非合理なのです。それでいて、非日常かと言えばそうでもないです。キャンプ場にもルールは当然存在するし、近所のサイトの人たちと挨拶はしますし、摩擦は、お互いに楽しむために避けなければなりません。社会の縮図ですね。山奥に来ても、心掛けることは、日常通りです。子供の相手もしなければなりませんしね。
キャンプという行為を行ったことで、満足するのかな?というのは答えのような気がしましたが、理由としては非常に曖昧ですね。その満足感を味わうために、年に数回しか使わないのに、高い道具を買い揃え、遠くまで足を運ぶのでしょうか?だとしたら、大変な「無駄」とも言えます。
「無駄こそが最高の贅沢である」そんな言葉を何処かで見かけたことがありますが、気のせいかもしれません。贅沢をするなら、旅館やホテルでの宿泊のほうでしょう。少なくとも僕には、暗闇で焼けたかどうか判らない肉を食べるような状況を贅沢とは思えません。
不便さの中で、日常生活、ひいては文明がいかに便利さと快適をもたらしているか、それを確認するためでもないでしょうし。感謝の気持ちは当然生まれますが、比較対象とは成り難いですね。愛する人のため?これは僕も含めてキャンプに積極的だったので、あり得ません。「愛する人」の定義も人それぞれでしょうし。
そんな事を深夜に、暗闇の中で眠くなるまで考えていましたが、自分を納得させる解答に至らず。う~ん。
しかし、その答えを見つけるためにキャンプに行く、というのは有りですね。疑問が生まれたからこそ、次回への動機に繋がりました。さて、皆さんはどう思いますか?
以上になりますが、楽しそうですね。趣旨は(推測ですが)「合理性の中で求める非合理性の理由は何か」という事だと思います。自分の文章なのに、よく判りません。つまりは、それだけ思考も流動的ということで、よろしいのではないでしょうか。この方法(以前の文章を貼り付け)は楽ですね。5分で仕上がりました。手抜きでごめんなさい。ただ、パソコンのハードディスクで眠っている文章が勿体ないな、と感じたのであしからず。しかし、これでハードディスク内のファイルを整理できます。これが重要。古い不要と思われるファイルは何時までも保存していても仕方がありませんから。画像データや動画データは確実に増えていきますから、そちらの整理のほうが大変かもしれません。しばらく手付かずなので、どれくらいのデータ量になっているのか、想像もできませんが、まだ1テラバイト未満であることは確実。何かの拍子で全て消えてしまったら、少し悲しいですね。