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掘り出しものは何ですか

本日も、ハードディスクに温存していた文章を掲載しようと思います。楽をしようとしていることがバレバレですね。人間、如何に楽をするか、と言うテーマは常に付き纏うものなのです(説得力なし)。タイトルは「キャンプ場」ですが、これは3歳から9歳の夏までを過ごした場所が、まさに「キャンプ場」なのです。詳細は省きますが、とにかく大自然での生活を営んでいたという事実があります。今住んでいる場所でも、友人などがたまに田舎自慢しますが、今のところ僕が過ごした環境より田舎だと思ったことはありません。隣の(人が住んでいる)家まで1kmは離れていました。いえ、最初の頃は、100mくらい離れた場所に住んでいる方がいたそうですが、亡くなったため、次点となる隣家の距離を示しました。直線距離だと、恐らく500mくらいだと思いますが、山沿いの路ですから、クネクネ曲がっており、それがかなり距離感を狂わせてくれます。ちょっとグーグルマップで調べて見ましょう。やはり、感覚は正しかったみたいです。隣の家まで1.1kmと表示されました。道路は、隣家との間をえぐるように川がカーブして流れているため、迂回路のような形になっています。徒歩で15分と表示されましたが、大人の足で、ですね。子供は真っすぐ歩かないし、花を見つけたり石を見つけたりと寄り道ばかりするので、とても15分では到着しません。子供にとっては、それが「真っすぐ」なのです。えっ?曲がっているように見えますか?いえいえ、少なくとも、彼らの好奇心に対して「真っすぐ」に行動しているのです。屁理屈で恐縮です。さて、本文に入りましょう。固有名詞や人の名前は表現を替えていますのであしからず。


キャンプ場

おそらく、家族の中で最も長い時間、キャンプ場に入り浸っていたのは僕だと思う、とにかく忍び込んでいた。連休の時はもちろん、誰もいない時でも走り回ったり、かくれんぼをしたりしていた(もちろん独りで)。建物の改修の時(ドイツ人が一人で行っていた!)も、変わりゆく様を毎日のようにみていたし、天井裏に忍び込んでドイツ人に日本語で「アブナイヨ!」と怒られたりもした(僕にとっては秘密基地みたいで楽しかったのだが・・・)
悲しい思い出もある。 夏休みが終わって、誰もいないキャンプ場に入る瞬間。少し前までそこには大勢の人がいて、楽しく歌ったり、キャンプファイヤをしたり、お祈りをしたり・・・その映像が浮かんできて、とても寂しくて泣いたこともあった。決して、夏休みの宿題が終わってなくて怒られて泣いた訳ではない。というか、宿題そっちのけで遊んでいた。幸せなことである。
可児(実家のある場所)に引越しをしてから、現在に至るまではキャンプ場に数回しか訪れていないけど、その数回の中に、結婚式も入っている。あれは本当に僕のワガママが凝縮されたプランだった。父が式を執るなんて、世間では考えられないだろうけど、僕には、幸運にもその発想を得る環境にいたし、お願いするだけのワガママさは持ち合わせていた。それを快く引き受けてくれた父には本当に感謝。兄弟も同時にあの場所で会えた。まさに、夢見心地だった。
あとは、カメムシさえいなければ・・・


そう、カメムシがいたのです。しかも、ハンパなく。もう、あの生活はカメムシ無しでは語れません。そうそう、まさに今の時期ではなかったでしょうか。窓を開ければ、窓のサッシにウジャウジャ。布団を干して取り込めば、カメムシの水玉模様。キャンプ場の木造建物でアスレチックごっこをしようと、柱にぶら下がると、手を置いたところにカメムシが・・・石鹸で手を洗ってもあの匂いは取れません。きっと、良い方法があるのだと思いますが、その事はグーグル検索なんてなかったから、我慢するのみでした。しかし、そうやって五感から得た(強力な)情報というのは、記憶に定着しやすいようです。良くも悪くも、酸いも甘いも、老若男女、弱肉強食、当時の思い出は特別です。誰かが言っていたのですが、「貧乏人は金持ちの生活は想像できる。しかし金持ちは貧しい生活を想像することはできない。」と。その通りで、贅沢な暮らしはいくらでも想像ができます。何故ならそれらは、お金で解決できるからです。しかし、貧しい生活は、「知恵」がなければ、想像ができません。植物を観て、何が食べることができるか、田舎であれば、子供でも結構知っています。それは、生活から学ぶからです。どちらが豊かな生活であるか、想像してみてはいかがでしょうか。