厭き厭きするほど秋の匂い
秋も深まり、山の樹々も紅葉を始め、気温も低くなり、空気が乾燥して空が澄んで見えます。日中は青空が広がると、日差しは暖かく身体を包んでくれます。風は適度に身体を撫でてくれるので、日射を暑く感じる事はありません。雨が降れば、夏季の豪雨とは違い、シトシトと降り続きます。乾燥した空気を適度に湿らせて、潤いを与えてくれます。読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、それぞれ個人が好きな事を気持ちよく取り組むことができる季節という意味ではありますが、自分に限って言えば、秋だからといって、特に違いはありません。読書は読みたい本があれば読むでしょうし、スポーツは年齢的にしんどいので、ウォーキングが関の山。近くに関市という地域があり、その地域の山でハイキングをする、という意味ではありません。ハイキングやウォーキングはスポーツではありませんが、タイムを争う事になれば、スポーツになりますね。そもそも、その競い合うという事が苦手ですから、スポーツにはそれほどのめり込む事が無いのかもしれません。「勝ちたい」という欲求が無くなってきているのだと思います。今はどちらかと言えば、「知りたい」という欲求が旺盛です。もちろん、全てに関して知りたい、という訳ではなくて、都度対象は変わります。だからといって、学生に戻りたいか、と言われたら・・・Yesと答えます。戻りたいですね(笑)また勉強をせずに遊んでしまうかもしれませんが。そうですね、働く必要が無ければ、一生大学に行って勉強したいですね。そんな都合の良い話はありませんが、遊んで暮らす、というのは僕には向いていないかな、と。パチンコ、競馬、カジノ、などが遊びとして浮かんできますが、興味がありません。それよりも、模型を組み立てたり、ラジコンの車、船、飛行機を操縦したり、電子部品でロボットを作ったり、そんな作業が僕にとっての遊びだと考えています。現在はそれを実行する余裕がありませんが、頭の中で、こうしよう、という未来予想図を描いて、いつか実現できたら素敵です。そこに向かうために、勉強をする必要があるのかもしれません。ちっとも捗りませんけれど。本当に知識として蓄えているのだろうか、と自分に疑問を抱いてしまいます。毎日、参考書のページは進んでいますが、何ページが進んだら、少し前の内容が全くと言っていいほど、記憶から消去されています。これはもう、諦めるしかなくて、記憶に定着させるために復習をするのですが、その時間のかかることかかること。この分ですと、手元にある学びたい教科書が10冊くらいあるのですが、全てを学ぶためには、軽く10年を要することでしょう。なんだか、遠い未来のお話みたいで現実味がありませんが、少しずつ進めていくしかありません。果たしてたどり着けるのでしょうか・・・