• 雑談

    春の申し子

    思わせぶりなタイトルですが、生まれが3月なので、勝手にそうやって思っている男が、ここに居るということです。言葉の意味は深く考えたことはありませんが、調べてみると神仏への祈願によって生まれた子のことを言うそうですね。うーん、やはり勝手な思い込みだったかもしれません。それほど神聖な意味合いがあるとは考えていませんでした。僕の場合、言葉というのは、8割くらいが雰囲気で使っているものなので、TPOに則した使い分けなどはしていません。していませんというか、できません。しかし、自分なりにその場で最適と思われる言葉を発しているのは事実であり、それが僕の能力を示しているということです。まぁ、言うに及ばず、というところですね。いやいや、問うに落ちず語るに落ちる、の方が的確ですか。それとも下手な鉄砲数打ちゃ当たる、といったところでしょうか。いずれにしても、虚しさ一杯、ドングリの背比べになります。最近は意識的に言葉を発しないと、とても冷たい言い方をしている自分に気付きます。こうして、文章にすると、同じ言葉遣いでもそれほどキツくは感じないでしょうけれど、喋り方(発声?)が無感情で、相手にとっては面白くないことでしょう。そんなことを気にする必要はないのですが、職場では効率が求められるので、少しは感情的な物言いが必要だと認識しています。言葉の意味を的確に捉えることが出来るなら、感情を表現する必要はないのですが、伝わりにくい場合は、喋り方を変える必要があるのかな、と思います。文章に感情を込めても、それほど伝わらないでしょうか?僕は、会話以上に伝わるのではないかな、と思います。行間を読む、という言葉があるように、何を言わんとしているか、考える時間を与えられるので、じっくりと言葉を消化できます。それが文章によるコミュニケーションの良いところ。ただ、言葉にも「品」が必要で、何でもかんでも書けば良い、というものではありません。そういう意味では、このブログは何でもかんでも見境なく書いていますから、品は無いのかもしれません。沈黙は金ですから、毎日毎日ブログを書いて、こんなに騒がしいことはないでしょう。さて3月もいよいよ残りわずか。年度末というだけあって、工場には顧客から駆け込み需要が殺到します。予算を使い切るためなのか、たまたま受注が重なって忙しいのか、いま一つピンときません。営業さんはこの時期に活発になるのであれば、間違いなく春の申し子ですね。4月からは気分も新たに新元号を待つことになります。そして、新しい時代への幕開けとも言える即位式が大型連休に執り行われるようです。どうなるのか、楽観しておくことにしましょう。それよりも、明日は明日の問題を着々とこなしていかなければ、楽しみの時間は減ってしまいます。日々是新の精神で取り組んでいきます。