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わんぱくな器用貧乏
コンピュータゲームの話が(自分の中で)盛り上がっているので、もう少し続けます。なぜ、ゲームにはまってしまうのか、疑問に思われる方も大勢いらっしゃることでしょう。それは至極正当な疑問だと言えます。一度画面の前に座って、コントローラを握ったら、何時間も続けてしまう、という人(比率で言えば、男性が多いことでしょう)がけっこう多いそうです。僕は、現在では、1時間も続けたら目が疲れてくるので、休憩を挟む必要があります。そして、2時間も続けたら、飽きます。というか、遊んでいるうちに、他にやりたいことが沢山見つかるのです。「あの本を読まなきゃ」「ピアノの練習をしようかしら」「洗濯物乾いたかしら」などなど(言葉遣いは気にしない)。小学生の頃は、2時間くらいなら、ゲームを続けても平気でしたが、「2時間まで」という不文律が母との間にありましたので、それ以上は控えていたと記憶しています。もしかしたら、こっそり遊んでいたかもしれません。なんせ、わんぱくでしたから。授業参観の時に、体を横に向けて、おはじきを指ではじきながら「チィチィパッパ、チィパッパ♪」などと口ずさんでいる様子が、学級通信に描かれたこともあります。友達と、「アケビ」を取るために、道路から降りていき、崖に生えている木を登ったこともあります。これは、父が証人です。止めなかったのは、さすがだと思います。他にも、割と流れの速い川で、ボムゴートに1人で乗り、500mほど下流まで下って行ったり、比較的家から離れた見知らぬ山の中に1人で入っていったり、とにかく、好き勝手に遊び歩いていたように思います。もし、自分の子供たちがそんなことをしていたら、奥様は気絶してしまうかもしれません。それくらい、わんぱくというか、やんちゃ坊主というか、危険を顧みず、冒険の日々でした。一度、川の浅瀬で、石の上を渡って反対岸に行ったのですが、足を滑らせて、頭から落ちて、たまたま尖った岩に頭部が当たり、出血したこともあります。子供心ながらに、「止血しないとまずい」と思ったのでしょう、履いている(ずぶ濡れの)靴下を脱ぎ、その裂傷部分にあてて、家まで泣きながら歩いて帰りました。すぐに病院に向かったと思いますが、そのあとの記憶はありません。その時、川に友達も一緒にいったのですが、そういえば、彼は無事に帰宅したのですね。僕は彼そっちのけで、泣きながら帰宅してしまいましたから、今思えば、「帰る」と一言いうべきだった、と反省。ケガをしたのは、自分の不注意ですからね。大きなトラブルといえば、それくらいでしたかね。あとは、野となれ山となれの精神で、見事にワイルドな少年に成長したのではないかと自負しております。小学校5年生で引っ越したのですが、その後は、そんな冒険をすることはなくなりました。周辺の環境には、それほど魅力が無かったのだと思います。引っ越してから、暮らしはとても便利になったのは間違いありません。しかし、ワイルドな少年には、少し都会すぎた、という感覚でした。すっかり牙を抜かれたような、上の空な少年になったと、自負はしておりません。ゲームの話でしたね。持続してプレイすることが出来る人は、職人タイプというか、とことん追求していく傾向がありますね。決して妥協しないというか。僕は、どちらかと言えば器用貧乏で、上達が早いのですが、ある程度まで到達すると、もういいや、となってしまい、それ以上を目指すことを諦めます。ロールプレイングゲームでは、それが顕著で、一度クリアすれば、満足します。それ以上、レベルを上げて主人公(と仲間)を強くしようとは考えません。不思議なことに、野山で遊んでいる時は、どんな遊びでも、時間を忘れて没頭していました。それを知っているから、ゲームにのめり込む事ができないのかもしれません。結局、他に楽しい事があるかどうか、という部分がポイントですね。そう考えると、最近、スマフォをずっといじっている人たちは、何か楽しみが見つかると良いですね。もちろん、皆が皆ではありません。時には、遠くの景色に視線を移してあげることも、悪くはないと思います。
遠くを見つめるとその先には・・・