出窓でまどろむノマドになりたい
引き続き、窓についての考察になります。考察というか、所感というか、何となく浮かんだというか、出たとこ勝負というか、何とでも言えますが、最も知的と思われる言葉を選択した結果です。そういった計算高い性格ですから、たまにそれが嫌になるので、こうして、正直に告白することにしました。これは、今、決めたことです。今までは、そんな事は微塵も考えたことがありません。ミジンコの気持ちは、考えたことはありませんし、考えても、きっと分かりません。パチンコは、1回だけ打ったことがあります。社会勉強のつもりでしたが、予想に反して、儲かってしまいました。といっても5000円くらいでしたか。閉店1時間前に入ったので、当たりがきて、玉がじゃらじゃら出てきている時に、店員がきて「時間切れですので」と言われました。僕は、素直に当たりが嬉しかったので、特に文句もなく、引き上げて帰宅しました。パチンコ好きの人であれば、一悶着おきるパターンではないでしょうか。とはいえ、閉店時間は決まっていますから、パチンコ台の電源切られたら、終わりですよね。それくらいの徹底した時間管理をされたら、打つ方も早めに切り上げることが出来ますね。特に、数万円負けているのに、さらにつぎ込む、という悲しい話は聞かなくて済みそうです。まあ、朝から行った場合には、その限りではないでしょうが。えーっと、窓の話でしたね。マドはマドでも、お米を炊くマドは?かまどです。最近、長女がこういうクイズを、突然言ってきます。答えを言おうとすると、「正解は、○○~。」と、教えてくれます。なんと言うか、せっかちですね。人が考えてモノを言う「間」を、待てないのです。これは少し良くないですね。今のうちに、父の威厳をたっぷり込めて、ガツンと言ってやろうという心意気を、ここに記しておきます。ちょっと、満足しました(何が?)。窓は窓でも、出窓について書きたかったのですが、どうでもよい事をつらつらと書いてしまいました。出窓は、実家に4か所(4部屋)ありました。とはいっても、僕がイメージしている出窓は、1部屋だけで、他の3部屋は、ぽっと出みたいなものでした(誤用)。要するに、窓と壁面との段差が20cmくらいあって、少しモノが置ける程度です。1つの出窓だけ、台形で、ガラス面に格子があります。横の2面がハメ殺し、中央は、2枚のスライドできる窓がついていました。幅は100cmくらいで、壁面との差は40cmくらいでしょうか。子供がかくれんぼする時に、ちょうど収まるサイズです。そこから眺める景色が、畑と工場になります。僕は、その隣の部屋だったので、景色はほとんど同じです。違いと言えば、僕が居た部屋は、掃き出し窓なので、景色は縦長になりますが、それくらいでしょうか。正直、出窓のメリットがイマイチ理解できなくて、敢えていうなら、外観に変化が生まれる、ということでしょうか。Aさん「その出窓、最高だね。」Bさん「あぁ、そうそう、採光に良いのだよ。」なんていうすれ違いの会話が生まれそうです。日常の会話でも、これに近い勘違いが頻繁に起こっているように見受けられます。しかし、大事にならずに日々が過ぎているということは、それほど重要な会話じゃなかったのか、と評価せざるを得ません。あぁ、そうか。プランタを置いて、花や植物を飾るのは素敵かもしれません。でも、窓はやはり、外の景色を眺めて、楽しみたいですね。椅子に座って、窓枠に収まった絵を、ぼんやり眺めて、コーヒーを飲むなんて、優雅で幸せなひと時に違いありません。これは私見ですので、あしからず。いえ、窓の眺めが、ではなく、考え方がという意味です(余計に分かり難い?)。さて、ノマドという言葉は、最近しりましたが、「No!窓」と、窓嫌いの人たちの集合かな、と思っていました。語源は、英語の「nomad(遊牧民)」からきているのですね。なんでも、オフィス以外でPCやタブレットを駆使して仕事をこなす人たちを、ノマドワーカと呼ぶそうです。羨ましいですね。僕もその集合に属してみたいです。スキルがあれば、できるのでしょうけれど、現時点では・・・はい、勉強しましょう。いつかは、窓辺でまどろみながら、仕事をしたいものです。
