雑談

窓枠に映る絵

窓には、光を室内に取り込んだり、開けることで風を通して、空気を入れ替えたりする機能を持っています。居室に関して、建築基準法で、窓の大きさについての基準が設けられており、床面積の1/7以上の大きさが必要とのことです。つまり、窓が重要な役割を果たしているということが、ここから分ります。風の通らない部屋、光が全く差さない部屋に住むことを想像しただけでも、すこし、暗い気分になりますね(平気な人もいるかもしれませんが)。ほんの数時間、或いは1日くらいなら、なんとか耐えられるかもしれませんが、1ヶ月以上その環境で生活することになったら、不健康な事は明らかです。日射を浴びることも、風を通して空気を入れ替えることも、健康管理において需要なポイントです。普段、何気なく、窓からの景色を眺めていますが、自分の立ち位置、視点によって景色は変わります。当然かもしれませんが、これは2次元の世界では、実現しません。子供の頃、テレビを見ている時に、ふと、画面を下から覗いてみたり、横から覗いたりして、画面に映っていない箇所を見ようと挑戦した記憶は、誰にでもあるかと思いますが、大人になってもやっている人がいたら、自重されることをお勧めします。この行動は、3次元の世界に住んでいるから、そういう発想が生まれるのかもしれません。画面は平面、つまり2次元ですが、映像は3次元じゃないのか、という発想に至るには、例えば、窓から見た景色がそうだから、という理由が挙げられます。実際には、窓ガラスに映った景色を見ているのではなく、3次元の世界をガラス越しに見ているので、当然、画面の映像とは違います。しかし、窓枠の存在によって、あたかも一枚の絵を観ているような感覚に陥るのかもしれません。他の人と、こんな話をしたことはありませんから、一般的にどうなのか、という疑問はありますが、それらしい理由を見つけたので、そういう事にしておきましょう。今の住まいは、いわゆる東向きで、リビングの窓には、朝日がこれでもか、というくらいに飛び込んできます。冬は、部屋が暖かくなるので、良いのですが、夏は強い日差しを、未明から取り込むことになり、暑苦しい目覚めになります。カーテンを閉めていても、輻射熱で体感温度が高くなります。夏の間は、エアコンは連続運転しないと、夜でも30℃越えになりますから、予断を許しません。そうそう、今年は緑のカーテンを、窓の外につけなければなりません。昨年まで付けてあったテラスカーテンというか、シェード(同じですか)は、紫外線でボロボロになってしまいました。それが無いと、部屋の中が、ヤバいくらいに暑いのです。午前10時くらいを過ぎれば、もう部屋に直射はしません。冬は、起床時間が6時頃なのですが、日の出は、もう少し後になり、その瞬間を眺めるのが、とても贅沢に思えます。空気が澄んで綺麗ですし、なんというか、凍った世界が、朝日を浴びて解けだし、動き始めるような、そんなイメージを、窓から景色を眺めながら浮かべています。言葉にならない、というくらい美しいです。そう、言葉にする必要なんてないのです。どう感じたのか、客観的に解釈し、イメージを焼き付けておけば、言葉にするよりも、より自然な状態で記憶できるのではないかと思います。窓枠という額縁は、毎日、素敵な絵を私たちのために準備しています。例え雨が降っていても、カーテンを開ければ、その時々の「絵」を観ることができるでしょう。様々な角度から、或いは近づいたり離れたりして、ベストショットを探すのも良いかもしれません。朝からそんな事をしていて、奥様に見られたら、不審を抱かれることでしょう。芸術について、特に語りあったことはありませんが、きっと、共感していただけるのではないか、とほのかな期待を胸に、毎日を過ごす所存です。

ミラーに映る夕日

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