あおりは己も危険
あおり運転について、いろいろと騒がれているようです。推測ですが、昔からこの手の問題はあったはず。それが、ドライブレコーダやスマホ、加えてインターネットの普及により、危険行為を動画で手軽に記録できるようになりました。その効果もあり、問題が表出してきたという気がします。問題の本質は、個人の感情的な部分であり、その根は社会生活におけるストレスではないでしょうか。その発散として、そういう行為に至るのではないかと。これは他の事件に於いても同様です。つまり、根本的な部分を改善しなければ、根絶は難しいという事です。しかし、ある程度抑制する事は可能であるのかもしれません。それの一つが「監視」です。様々な記録装置を備えたデバイスがインターネットに接続されることで、細かな部分までも記録に残す事が可能になりました。その一つがドライブレコーダです。さすがに、インターネットに直結しているそれは普及していないと思いますが、簡単にレコーダの動画をメモリカードに移して(或いは最初からメモリカードに書き込まれて)、公開できるはずです(未経験ですから、推測です)。実際、今ニュースで取り上げられている動画は、レコーダの動画を編集して投稿したものでしょう。今後は、もっと動画による記録が行われると予想されます。もう、証拠は写真ではなく、動画になっていくという事です。そうなると、動画が本当にありのままの情報なのか、つまり「手を加えられていないか」という審議が必要になってきます。そうなると、また別の「証拠動画」が必要になったりして、結局解決には時間がかかることでしょう。しかし、一般的に考えれば、以前よりは「安心・安全な社会」は実現しつつあるのだと言えます。ただ、それは必ずしも「暮らしやすい社会」だとは言えない、という点がジレンマであることでしょう。防犯のために監視されることの是非が問われる部分もあるでしょうけれど、犯罪の根絶が難しい以上、必要な対策だと僕は思います。西遊記で孫悟空の頭に「 緊箍児(きんこじ) 」という輪が着けられていて、悪さをしたり言う事を聞かない時に、三蔵法師が呪文を唱えると締め付ける、という場面がありました。簡単に言えば、それを全ての人に行うことですね。懐かしいお話が登場しましたが、ストーリィの結末は全く覚えていません。ハッピーエンドでしたか?