正義と悪の狭間
今日は会社にお泊りです。久しぶりのTVデーとなります。勉強しようと参考書を持参するのですが、目の前のテレビ番組が新鮮で、ついつい観てしまいます。会社に泊まる時の、月一のテレビ鑑賞は、刺激をもたらしてくれる逸材かもしれません。そういう意味では、存在価値を否定する必要は無いのかな、とも言えます。日常的に観るのは、少し退屈かも。夜は映画のスピードシリーズが放映されていました。もう10年以上前に、シリーズ初期の2,3作をDVDで観た記憶があります。とても刺激的でした。レースがエキサイティングで、沢山のカスタムカーが出てきて、普段興味がなくても、パワフルな走行シーンに惹き込まれてしまいました。走りを追求したスタイルは、とても洗練されていて、美しくもあります。飛ぶことを目的とした飛行機は、特に美しい。ムダなものが削ぎ落とされたフォルムがそう思わせるのですが、シャープにする必要があるということは、それだけシビアな条件下でもあるという事ですね。テレビコマーシャルという無駄を省けば、番組はもっとシャープになって、楽しめるかもしれません。もっとも、そうなれば経営が成り立たず、民放は存続が厳しくなるでしょう。スピードという映画は、いわゆるサクセスストーリーだと言えます。若干の正義という言葉の定義補正は必要となりますが。そもそも正義と悪の違いとは、曖昧というか、立場の違いから解釈は異なります。何度も書きますが、ニーチェの「真実など存在しない。ただ解釈が存在する」という言葉が、如何に的を射ているか。そんなテレビ鑑賞となりました。