雑談

月曜日は一目散

今日は憂鬱な月曜日でした。仕事で面倒な作業が幾つかあったので、それらが気を重くさせていました。それが終わった今は解放されましたから、何とも思いませんが、昨日の今頃は本当に「行きたくない」という気分でした。朝になると、長女が「小学校に行きたくない!」と叫んでいたので、それに便乗して「会社に行きたくない!」と叫びそうになりましたが、既の所で思い留まりました。やはり、親としての自覚が少しは残っているのでしょう。時折、子供の我が儘を羨ましく思います。僕も出来れば、我が儘を言いたい放題、暴れたい放題で暮らしていきたいのですが、問屋がそうは卸しません。実際には奥様がそうはさせてくれない、という現実。「誰が問屋やねん!」と怒られたらどうしましょう。それくらいのユーモアがあれば、恐らくテヘペロで許してもらえそうですが。テヘペロという言葉はどのように広まったのか知りませんが、きっと、ペロちゃんキャンディのペロちゃんが起源ではないでしょうか。愛嬌を振りまくという意味では、素晴らしい手法ですが、八方美人お調子者と評判になってしまうことでしょう。仕事では、出来る限り実行しないほうが、得策だと言えます。プライベートではその限りではありません。会社で、慰安会のアンケートが行われていて、第一段階として、旅行or会食を選択し、第二段階では工場全体か、各所属単位で行うか、という選択を個人でして、多数決を採るそうですが、この時点で、慰安会という名目は崩れさっているように感じますし、無理に参加を促すくらいなら、もう慰安会というイベントを廃止したほうが合理的だと思います。そこまで拘る理由が判りません。僕が決める訳ではありませんし、それを楽しみにしている人が存在することは事実ですが、全体として見れば、時代にそぐわないのでしょう、きっと。交代勤務であれば、必ず誰かは参加できない訳ですから、その時点で不公平というものです。工場が停まっている時に、全員で行きましょう、というスタンスであれば、皆さん参加するのではないでしょうか。それを仕事と位置付ければ済む話です。休日に慰安会に参加して「仕事の内だから」という言葉を吐く人も存在しますが、それは如何なものかと。休日は休日として扱うべきです。一昔前は、会社という存在がもっと強くて、個人は弱かったという印象がありますが、最近は労働者が強くなった、というか、権利を主張する方法を知り始めたのではないでしょうか。それはインターネットによる情報の共有が大きな要因です。また、働く環境についても、雇用対象の年齢が引き上げられていますから、例えば転職でも、あきらめなければ、年齢を問わずに実行できるように改善されているようです。当然、資格を取得したり、経験を積んだりという「準備」は必要になってきます。それさえ乗り切れば、生涯現役だって可能ではないかと思います。まあ、老後はゆっくりしたい、というのが一般的な意見でしょうから、生涯現役という言葉は敬遠されがちかもしれません。年金次第でしょうか・・・