静かな湾を眺めた無力な男
5月1日水曜日。記念すべき「令和」元年の初日です。この、日本国における時代の変わり目に、兄弟姉妹5人が一同に集まり、時を過ごしました。兄弟5人が語りあう、という経験はとても新鮮であり、また懐かしくもありました。テーマは多岐に渡りましたが、それぞれの想いを発信し、情報交換を行いました。子供の頃は、ただふざけあった、という記憶しかなくて、それはそれで良き思い出ではあるのですが、大人になってみれば、兄弟という存在が不思議なものに感じられます。普段はお互い離れた場所で、それぞれの生活をしている訳で、職場や近所の人、友人知人と持ちつ持たれつという関係を築いているのです。それを長い期間続けていると、兄弟よりもコミュニケーションが増えるわけです。しかし、久しぶりに会う兄弟なのに、全く違和感もなく語ることができる、という感覚が本当に不思議なのです。何がそうさせているのでしょうか。子供の頃の記憶?血筋?もちろん、すべての兄弟がそうだと言っているのではなく、僕の感覚ですから、否定される意見もあることでしょう。ただ、少なくとも、この令和初日に、兄弟で過ごしたことは、掛け替えのない時間であり、考えることもたくさんありました。仙台に来たので、まだ訪れたことのない東日本大震災の被災地を少し訪れました。僕は映像で何回も津波が襲う場面を観たので、そのイメージがいつまでも残っているのですが、本日、現地で感じたことは「何と静かな湾だろう」です。雨が降っている時間でしたから、波は少々ありましたが、少し高台から沖を望むと、静かな水面が見えました。街では人々は普通に生活をしています。その自分が見ている映像に、震災の映像をオーバーラップさせてみると、とても想像出来ないのです。津波の映像が、どうやってもイメージできない。信じることが出来ない自分がそこには立っていました。何も出来ない、何も力になれない。この先、自分のあり方というものを、見つめ直す必要があると強く感じました。それは簡単な事では無いのかもしれません。しかし、それがあるべき姿ではないか、とも思いました。令和という時代をどう生きるのか、ボンヤリとイメージすることができました。そのイメージを得るチャンスを与えてくれた兄弟には、感謝の気持ちで一杯です。