一筋縄ではいかない
毎日、仕事の話を書いて恐縮ですが、バタバタしております。急ぎの案件が入ったかと思えば、キャンセルが入ったり、営業さんが納入日を1か月間違えて、早く依頼されたり、そうかと思えば全く予想外の受注が入ったりと、毎日、予定が流動的に変更されています。もう、元々の予定がどうだったのか、誰にも判りません。「予定は未定」というよりも「予定は余計」と感じている次第です。とにかく、出荷が近い作業から、一つずつ片づけるのが無難だし、慌てなくて済むと思います。仕事においては、どれだけイレギュラが発生しても冷静を装うように心がけていますが、周囲が騒ぐので、相対的に僕は冷静に構えていると見えていることでしょう。どちらかと言えば、気持ちは焦っています。しかし、行動がゆっくりですから、冷静に見られるのかもしれません。そうです、最近は早く動けないのです。移動する際に「走ろう」という気力は湧きません。早歩きもしません。もう、散歩程度の速度で歩きます。それが精一杯の速度だと考えています。もう、年齢のせいにしても良いじゃないか、と勝手に判断していますが、若い人たちは本当に作業が早い。手際の良さに、つい見とれてしまいます(誤解を招く表現)。いつまでも歩き回れるだけの体力を維持できるかどうか、難しいところですが、走るよりは現実的です。マラソンは、友人が数人参加したりしていますが、よくやるなぁ、と感心させられます。先ず、出場したい、という欲求が芽生えません。そして「走ろう」という欲求も生まれません。非常に冷たい言い方ですと、時間の無駄ではないか、と思う訳です。まぁ、この辺りは反論もあるでしょうけれど、人それぞれという事でご容赦ください。僕は、スポーツには興味が無くて(スポーツ観戦は、サッカーの日本代表戦をテレビで観るだけ)、車にも、ギャンブルにも、酒にも興味がありません。こういう話をすると「じゃあ、楽しみは何があるの?」と聞いてくる人がいます。何もない、ではダメでしょうか?そもそも、楽しくなければならない、という前提が不思議ですね。好きな事でも「辛い時」は必ずあるはずです。常に楽しい訳ではない。むしろ、楽しいと思える時間は短いのではないでしょうか。その「ひと時の楽しみ」のために、日頃の「辛い時」にも耐えることができるのだと思います。これは「楽しみ」というよりも「予感」と表現した方が適切ですね。何かいいことがあるのではないか、と考えて行動しているのです。酒やギャンブル、スポーツ観戦などは何か「予感」がありますか?僕にはそれが見当たらない、というだけの話です。何回か書きましたが、人間の考え方は多様性に満ちています。お互いの価値観を理解するのは難しい場合もあるはず。しかし、否定をするべきではないと思います。自分と違う考え方が存在するということを、知ることがコミュニケーションの神髄ではないかと。神髄は言い過ぎですかね。ならば「肝」ですね。「肝に命じる」という言葉がありますが、僕は肝が弱いので「メモる」ように心がけています。ただし、問題点があり、メモを失くしやすい、という特徴を持っています。さて、どうしたものでしょうか・・・