ポエムは思い付きで書けない
毎日、約1,000文字のブログを書いていますが、それ以上に、他の人の文章(ニュースやブログなど)を読んでいます。つまり、情報量は出力よりも入力の方が多い、という事になります。入力された情報がどのように吸収・消化あるいは消費されるのか、自分でも判りません。おそらく、ほとんどの情報は吸収されずに消えているはずです。でなければ、知識はもっと豊かであると思われます(希望的観測)。しかし、時折目にする詩や格言みたいなものは、記憶に残りやすいのです。長文になれば、より具体的に表現されることになるので、よりイメージが湧きやすいのではないかと思いがちですが、そうではなくて、短くて抽象的なほうが、文章の意味を考える時によりイメージを膨らませるので、記憶に定着しやすいようです。量より質、というのは、この辺りからも理解できます。1,000文字の文章と、50文字の詩を考えるのは、どちらが大変かと問われれば、間違いなく後者です。例えば同じテーマで両方を考えた時に、長文のほうは、関連する情報を繋ぎ合わせていくことで、目標文字数は簡単に達成できます。対して詩を考える時は、ベクトルとしては全く反対で、関連する情報を削ぎ落していく作業になります。残ったイメージに最適な言葉を選び、繋いでみて、言葉の流れや、発音した時の違和感を確かめます。それを何回も繰り返して、ようやく一つの詩ができあがります。時間的に比較すれば、1,000文字の文章は30分あれば書けますが、50文字の詩は、それ以上必要となります。これはあくまで僕の場合ですが、一文字当たりのコストで考えれば一般的にも同様だと思います。それだけ、詩は高級志向だという事です。毎日、50文字の詩をブログに掲載するとなれば、非常に大変だと思います。僕には無理ですね。それだけの発想と体力(脳力?)がありません。最近は、スマートフォンの普及でインターネットに常時繋がり、何時でも活字を目にするようになりました。本や新聞を読まなくても、活字を読む機会は確実に増えているのです。それに伴い、言葉の質よりも量を求めるように、思考が変化しているのではないか、と考えられます。それが意味するのは、想像する機会の減少でしょう。言葉のシャワーを浴びて満足し、スッキリする感覚。どっぷりと一つの文章に浸かり、そこから様々な連想をする、というような入浴スタイルは、あまり好まれないのでしょうね。もちろん、みんながそうだ、という訳ではなくて、そういう傾向が見受けられる、という話です。ただ、試験勉強に関しては、問題というシャワーを大量に、長時間浴びたほうが、合格の確率は高くなるようです。これは、最近受けた試験で実感しました。質よりも量が必要な部分もあります。この辺が、ジレンマというか、勉強の質って何だろう、と思います。