逆さまのハート
花火大会が各地で開催されている模様です。地元でも慣例に従い、毎年決まった日程で開催されています。毎週のようにあるのですが、それらの差というのは、数くらいではないのか、と思ってしまいます。花火にも様々な彩りや形があるみたいですが、その違いは素人目には判断がつきません。何よりも、この猛暑の日々では、夜とはいえ30度を超える暑さなのです。加えて人混みの中に紛れ込むのは、さも自我の融解を促進しているようで、非常に抵抗感があります。もう少し表現を変えると、自分という人間が、大衆に紛れ込むことで、埋没していくような感覚です。これは個性とかそういうものではなくて、思考が鈍っていく、という感じです。解りにくいと思いますが、僕の表現力では、これが限界ですね。それで、花火大会の様子を眺めていると、僕を含めて、花火を見ている人は少ないように見受けられます。お喋りをしているか、飲食に夢中になっているか、他の人間を観察しているか、スマホを操作しているか、などですね。お金を払っているわけではないので、皆さん、それほど目の前の花火に執着していないようです。こういうときに「現金ですね」というと、顰蹙を買いますが、この顰蹙もお金を払っているわけではないので、執着されることはないようです。お金を払ってでも顰蹙を買いたい、という人は、今でいうところの炎上商法を期待しているのですね。つまり、わざと反応が得られるような言動をするということです。それに釣られてしまわないように、気をつけたいと思います。「沈黙は金なり」という格言は、このような状況で最も真価を発揮することでしょう。花火を見ていると、ときおり円形ではないものがあります。昨日は、ハートと思われる形をした花火が数回あがりました。昨日見た場所からでは、上下逆さまなハートの形になっていたので、子供たちは違うものを連想していたようです。次女はモモみたいだと言っていました。長女は「お尻の形」と表現していました。まあ、人それぞれ捉え方は違うということですね。僕は、なぜ歪な形になるのか、ふと疑問に感じましたが、よくよく考えてみると、花火の玉は、打ち上げられるときに回転しているはずです。そして、導火線の根本に火種が到達したときに、爆発するようになっているでしょうから、上空でどの状態で爆発するか、コントールするのは非常に困難だと思われます。ロケットの形をした筒に入れて、それを打ち上げれば解決するのかもしれませんが、コストがかかることでしょう。最近では、点火をコンピュータ制御で行うようになってきたそうで、これにより安定感と安全が得られるようになったことでしょう。点火する作業を見ていると、とても心配になりますが、改善されているようで一安心しました。家庭で行う手持ち花火くらいは、自分たちで点火する楽しみを残しておいても問題は少ないことでしょう。子供が火を扱う勉強にもなりますし。つい危ないから、という理由でこういう体験を避けがちですが、何が危ないのかを理解させるには、実際に火を扱うことが一番でしょう。そのあたりは、親として難しい部分だな、と感じることしきり。電気と火と水と車ですかね、とりあえず伝えなければならないのは。車というよりは、人間の狂気とも言えるかもしれませんが・・・
