かまいたちのようなコミュニケーション
日本の教育について、何か問題があるのかどうかは判りませんけれど、感情を抑えるように教えられてきたのではないかと思います。誰に、という訳ではないのですが、例えば「これしきの事で泣くものじゃありません!」とか、「怒ったほうが負け」とか、「歯を見せて笑うな」とか、誰でもそういうニュアンスの文言を言われた経験があるのではないでしょうか。多少、トラウマのようなイメージもありますが、それらがみっともない、つまり恥に当たる、と理解すると、不思議と我慢しようという心理が働きます。必ずしも我慢できるわけではありませんが、努力はするかと。その我慢できるボーダーラインを超えると、いわゆる「キレた」状態になります。最近の若者がキレやすいと言われるのは、もしかしたらそのような「躾」の部分を教わっていない割合が増えてきているのかもしれません。しかし、ニュースで流れる事件を見ていると、キレて問題を起こす人間は中年以上が多いのではないでしょうか。交通事故も然り。いじめの問題は、学生の事件がクローズアップされますが、会社でいじめを受けた社会人はかなりいるでしょうし、社会人のいじめはニュースで取沙汰されることは少ないように思います。つまり、若者だから、という文句は何も当てはまっていないように感じるのですが、いかがでしょうか。感情を露わにするのは、必ずしも悪いことではないと思います。ただ、そのあたりに品格が表れるということですね。武家に生まれたら、幼いころから感情をコントロールする訓練を受け、名誉のために死を選択することも厭わない、という記述を見たことが有ります。これは武士道といわれる概念の一部として、継がれていたことでしょう。名誉のために死を選択するというのは、ややもすれば危険な考え方ですが、武士道では、「忠義」を尽くすとき、つまり、君主のために命を投げることが、名誉とされてきたようです。現代では、その戦国時代は想像もつかないような過酷な生活だったと想像しますが、その時代に於いて生まれた概念は、今だからこそ学ぶことができ、より豊かな人格を形成するのに大いに役立つのではないかと考えています。こんな事を書いている本人が、やや感情に任せた行動を取るので、世話がありません。家に帰る前から、「たとえ洗濯物が外に干しっぱなしでも、決してイライラしてはいけない。平常心を保ちなさい。」と言い聞かせても、帰宅後にその光景を見ると、やはりイライラとしてしまうのです。例が具体的すぎでしたね。お断りしておきますが、あくまで例えですからね。あしからず。父母は天地の如く、師君は日月の如し。平安〜明治時代にかけて書かれた「実語教」の一文ですが、素晴らしい表現ですね。古文は、言葉に力がありますよね。抽象化されていて、深みがある。クラシック音楽もそうです。現代の言葉も音楽も具体的すぎるような感じで・・・とはいえ、古文を勉強した記憶はほとんどありません。この実語教は、そのうちゆっくりと読んでみたいものです。さて、この文章を読んでいるうちにイライラしたあなた、カルシウム不足かもしれませんよ。少し古いですか・・・
