• 雑談

    雨の日が思い出せない

    引き続き、ジョークの話をしようと企んだのですが、冗談は休み休みに言え、という教訓がありますので、暫くの期間をおいて、書くことにします。ふと思い立って、子供の頃の記憶を掘り起こしていたのですが、不思議なことが分かりました。タイトルの通り、雨の日の記憶が無いのです。家の外で遊んだり、中で家族と会話したりするシーンは、いくらでもあるのですが、子供の頃、特に小学生以下で、雨が降っている、という記憶がありません。何故でしょうか?不思議ですね。他の人と比較したことが無いので何ともいえませんが、僕は人一倍、記憶領域が少ないように感じています。ですから、関係ない情報は、なるべく取り入れないようにしているのですが、保存済みの情報に関しても、不要な情報は削除されています。とはいえ、試験などで、必要な情報がすぐに出てきた試しはないですし、正しい情報が見つかる確率は、それほど高くありません。記憶術に関連した書籍を読んだことはありますが、体得できず終いでした。残念。不要な情報というのは、分かり易いところで食事が該当します。今日、会社で食べた昼食も思い出せませんし、昨晩の夕食もあやふやです。朝食は、毎日食パンだけなので、覚えているというよりは、習慣として、認識していると思います。他の不要な情報は、通勤、仕事の作業内容、風呂、トイレなどでしょうか。仕事の作業は、日報がありますので、それを見れば、自分の作業は思い出せますから、問題ありません。良いシステムがあれば、こと細かに記憶しなくても良いので、楽ですね。ああ、あと、このブログの内容は、書いた次の日には、忘れています。読み返さないと、何を書いたのか思い出せません。便利と言うか、都合の良い頭脳かもしれません。しかし、子供の頃の雨の記憶がないということは、理由として、①楽しくないから。②雨の情報だけが消去された(実際には降っていた)。③雨が全く降らなかった。以上、3点が挙げられます。③は、恐らく違いますよね。日本に住んでいましたし。②は、記憶の映像から雨だけが消された、という意味です。これは面白い発想ですが、じゃあ、映像で傘はもっているのか、雨合羽は着ているのか、と問われれば、NOです。つまり、雨は降っていない時の記憶です。その記憶がそもそも間違っている可能性もありますが、それを言っちゃぁ、お終めぇよ、ですね。となると、残るは①楽しくないから、ということになります。結局、外で遊ぶことが好きだったのに、雨が降るとそれが出来なくなるから、つまらないと感じていたのでしょう。自分の事なのに、推測をしております。雪のシーンは、残っているのですよねぇ。かんじきという言葉を覚えたのも、小学生のころです。雪深い場所でなければ、見ることもないでしょう。実際にかんじきを使った記憶はありませんが、家に置いてあったことは記憶しています。金属製でしたね。アルミでしょうか。子供たちは、長靴を履いて、雪に埋まりながら遊んでいました。谷底に落ちることなく、無事で何よりです。道路の崖側には、除雪車が作った、雪の壁が出来ていたので、それが守ってくれていたのかもしれません。こうしてみると、何かしら、刺激的な事柄があるから、記憶に残っているような感じです。雨に降られても、シャワーを浴びたのと変わらないと判断し、記憶から消されていくのかもしれません。今後は、記録的な大雨と対峙していかなければならないので、嫌でも雨の記憶が残りそうです。平和な国なのですが、温暖化による影響だけは免れません・・・

    曖昧な記憶