• 哲学?,  散歩

    ZEN Mondo

    昨日は、子供たちが教会に行きました。洗礼を受けているわけではなく、友達と遊べるからです。僕は無信仰です。奥様は知りません。両親は、クリスチャンです。小学生までは、両親とほぼ毎週、日曜日に教会にいきました。中学生になり、部活が始まると、行けなくなりました。それから、遠ざかりましたね。両親からは、特に何も言われませんでした。自分で考えなさい、という無言のメッセージと受け止めています。それに甘んじて、信仰は持たないようにしています。理由は特に述べませんが、一つの要因として、コミュニティを避けたい、というのがあります。子供たちが洗礼を受けたいのなら、そうさせます。両親が自動車運転免許を返納したら、教会までの送迎をするつもりです。前者は自由、後者は感謝、です。良い悪い、で物事をあまり考えないように気を付けています。損をするのは自分ですからね。かといって、何か得をするわけではありません。禅問答みたいですね。あるいは押し問答?タイトルのMondoはイタリア語で「世界」です。ZENは、禅のことで、外国で通用するそうですね。

    メルボルンの壁画

    今日の写真は、世界で最も住みやすい都市7年連続No1のメルボルンにて、2009年4月16日に撮影したものです。懐かしい。一見、落書きのように見えますが、(おそらく)デザインされたものですね。街のいたる壁に、このような絵がありました。ストリートアートというのですか。アマチュアの方が無料で書いているのなら、素晴らしいですね。これは都市の表通りにありました。なんとなく、地下鉄の構内を連想してしまいます。歩いている女性はモデルさんみたいで格好いいですね。この壁画(でいいのかな?)をパーツで見ると、なんだかごちゃごちゃしているな、と思いますが、全体としてみると、非常に自然な感じがします。馴染んでいる、と言うのでしょうか。なんでしょう、この視点による温度差は。僕の表現力では、言い表すことはできませんが、印象に残りました。メルボルンには、1週間ほど滞在しました。2日間は、友人と郊外へ観光したので、実質5日間を都市部で過ごしました。感想は「へぇぇ~」ですね。住みやすい、というのは便利さなのでしょうか。それならば、どの都市もそれほど変わりは無いはずです。文化的な部分でしたら、確かに無料で博物館や美術館に入場できるので、納得できます。オーストラリアは、メルボルンのほかに、アデレード、シドニー、パースなどの都市がTOP10にランクインしています。シドニー以外は滞在したことがありますが、どちらも素敵だったのは間違いありません。とはいえ、海外の都市を巡ったことはないので、比較するのもナンセンスですね。世界で1番住みやすい都市などを決めている組織は、得られる情報を客観的に数値化しているそうなので、例えば、個人が全ての都市を巡って比較をしたら、もっと違う結果になるでしょう。そこには主観が必ず入るからです。例えば、300都市くらいを比較するなら、モニターとなる人間が全ての都市を同期間、最低1か月くらいは生活する必要があります。しかし、それは25年かかる計算になるので、不可能ではありませんが、情報として遅すぎます。最初に行った都市は、もしかしたら無くなっているかもしれません。そうやって考えれば、この手の都市ランキングは、客観的なデータに基づく順位であり、(テレビの情報もそうですが)それを鵜呑みにして生活するのは、やや危険かもしれません。かといって、主観による情報の統計なら安全だ、とういことはありませんけど。禅問答みたい・・もうやめておきましょう。情報の平均をとるのが良さそうですね。今後は、見方を変えてみましょう。あぁ、これが視点を変えるという事ですか。データの意味を知ると、惑わされずに済みそうですね。