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    キャンプ二日目の怪

    昨日の続きとなります。兄の家族と高原のキャンプ場に行きました。大人4人、子供4人で、隣り合ったバンガローを2棟予約して、一泊二日を過ごしてきました。このキャンプ場は3回目ですが、晴天に恵まれたのは初めてです。とても綺麗な風景を楽しむことが出来ました。しかし、予想外の寒さに見舞われて、悲喜こもごもといった様子のパパさんでした(敢えて一人称をかわいらしく)。個人的なキャンプの目的は、自然の中で、心身ともにゆっくりとすることですから、スマフォはカバンに仕舞っておき、ただ風景を眺めて時間を過ごす事が、とても有意義であります。子供たちは、4人で遊ぶことに夢中でしたから、その様子を見ている、という事もそれほどありません。放っておいた方が、幸せなことでしょう。もちろん、視野に入れて置き、安全は確保されるように注視しておく必要があります。このあたりのバランスが難しいのではないかと感じています。例えば、家の前の道路で遊ばせることに、過剰に反対する人もいます。だからといって、駐車場で遊んで良いのか、と言えば、それはまた違う危険もあり、ルールでも違反となることが多いです。特にアパートやマンションですと、共有となる駐車場や通路では遊ぶことが禁止されている建物がほとんどではないでしょうか。子供たちにとっては、そんなの知った事か、という気持ちがあるのでしょうが、やはり安全や共有といった観点から、厳しくチェックされます。自転車に乗る練習をしたい、となった時に、わざわざサイクリングロードに行って、練習しなければならない、というのは非常に不便であり、不憫に思います。安全が確保されるのであれば、道路で練習しても構わないのではないか、と考えてしまいますが、あまり好ましい事ではないのですね。生活が便利になることは大いにありがたいのですが、その便利さによって、子供たちが窮屈な想いをしている部分も発生している、という現実を今後、どのように大人が対処していくのか、見守っていきたいトピックであります。子供がかわいい、という人は、容姿やその子供との関係について語られることが多いようですが、本当にかわいいのであれば、その子供たちの成長について考慮してあげるのが、最も重要な思いやりではないかと。着せ替え人形のように扱う大人たちを、子供たちがどのように見つめているのでしょうか。もしかしたら、僕の考え方が異端なのかもしれませんが、何か申し訳なさを感じてしまうことが時々あります。それは他人の子供に対しても、同様です。正しいとか間違っているという話ではなくて、個人的な感想です。さて、キャンプ二日目の朝は、そうですね、一番早く目覚めたと思います。えっと、起きて時計を確認したらAM3:00でした。それから眠れませんでした。テンションが上がって、目が覚めてしまうという、子供みたいなパパさんでした(少し気に入っています)。やはり、気持ちの良い空間は、眠くても幸せを感じられます。外の肌に刺さる様な寒さも、どこか優しさを感じます。あくまで感じ方の違いでしょうけれど、人間にとって、この「感覚の違い」は、生きる上で重要な点であると認識しています。理性というよりは本能に近い部分でしょうけれど、その感覚を磨くという経験も、キャンプの醍醐味の一つなのかもしれません。キャンプ場は自然の中とは言え、空間は人工的にデザインされたものです。しかし、日常と乖離された空間である以上、そこで得られる情報は有益であることでしょう。同じキャンプ場でも、毎回表情が異なります。同じ場所でも、1秒ごとに風景が異なります。その違いを感じる心を、子供たちに育んでもらいたい、という押し付けがましい願望を持っている、パパさんなのでした(お粗末さまでした)。

    補正された画像も美しい