• 雑談

    答えを導かないという選択

    頭が良い、とはどういう事でしょうか?記憶力が優れていること?処理能力が高いこと?脳みそのシワが多いこと?世の中の天才と言われる人々は、何が違うのでしょうか?何もしなくとも、その知識と処理力を備えていたのでしょうか?僕は、40歳になり、物事を理解しようとしても、なかなか記憶に定着しないので、半分諦めて、自分と付き合っています。本当に記憶力も悪いし、理解力もない。問題を与えられても、すぐに解答にジャンプしようとしてしまいます。思考能力が欠落しているという事ですね。未知の問題が与えられた時に、立ち向かう事ができるかどうか、というのが、一つのポイントであるという事が、何となく解ってきました。答えが自分の中に見つからないと、堪らなく不安になるという考え方も、思考の妨げになっているのだとも思います。答えが見つからなくても、一旦保存して、そのままディレイする、という事をもっと意図的に行う必要がありそうです。別に、天才になりたい訳ではありません。ただ、知りたいという欲求を満たしたい。知った事は記憶に定着させたい。それだけです。せっかく学んだのにそれが消えていくなんて、本当に儚いものです。さて、天才は何でもできるのでしょうか?三国志に登場する諸葛亮孔明は、まさに天才として描かれていると思いますが、その孔明でさえ、魏延の謀反を予見したにも関わらず、結局は彼を蜀に居座らせて、延命の祈りの最中にその魏延に邪魔をされ、志半ばで旅立ちました。そのシーンは、本当に悲しかった。僕は三国志を読んでいて、この孔明が必ず魏と呉を制圧し、平和な漢の時代を創るのだと予想していたのです。それが、叶わないと知った時、もう読み進めるのが嫌でした。関羽の死。張飛の死、劉備の死。そして孔明。彼らの人徳にどれだけ魅せられたことでしょうか。天才とは、失われて、改めてその偉大さを知らしめる、そんな存在であると思います。自分が凡人である以上、ただ努力をすることでしか、能力を向上させることは出来ません。しかし、努力すればいい、つまり継続すればいい、という方法が見いだせれば、あとは繰り返すだけ。それが今の心の拠り所となっています。単調な毎日。しかし、変化は確実に起きている。昨日のブログの続きみたいですね。