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    記憶素子に残るんです

    デジタルカメラが市場で人気が出るようになって、20年は過ぎたでしょうか。僕が最初に購入したデジカメは、ソニーのDSC-P150という型で、有効画素7.2Mピクセルで、当時は画素数が多い方でした。あまり意味を理解せずに購入しましたが、とても気に入っていて、出かける時は常に持ち歩いていました。それで撮影した写真で、素晴らしいものがあるかどうか、ハードディスクの写真フォルダを検索してみましたが、撮影者の腕がショボいので、特に素晴らしいものは見つかりませんでしたが、こういう時は、被写体が有名であれば、良い写真に見えるのではないか、という安易な考えで、こういうモノをチョイスしました。6/22にも登場しましたが、目玉のおやじです。しかも、写真を加工してしまいました。デジカメでは、ついついこういう補正を加えてしまうので、シャッターボタンを押すとき、それほど気持ちを込めていないのです。アナログカメラというか、もっぱら「写ルンです」で撮影した写真が、青春時代の残り物ですが、フィルムを無駄にしないように心がけていました。なんせ、24枚撮りで1200円くらいの値段でした。今の子供たちは、その話をしても通じないことでしょう。「は?」で終わりです。謙虚さの欠片もない娘たちですが、辛抱強く説明をすれば、聴いてくれる時もあります。その時は、ちょっと嬉しくなって、ついつい「聴いてくれてありがとう」などと口走ってしまうので、威厳の欠片もない父親なのです。「謙虚と威厳の欠片」というタイトルであれば、本が1冊書けそうです。売れるかどうか、という問いに対しては、売れない、と断言できます。理由は簡単です。面白くないからです。自分でも読みたいとは思いません。ただ、尽きる事の無い話題というか、広がりのあるテーマだという感覚ですね。奥様方の立ち話(世間話)は、一体、どういう滑り出しから始まるのでしょうか。誰かが止めなければ、ずっと話しているのではないか、というくらい凄い勢いで話していますね。あのような姿を見ていると、家で延々と世間話を聞かされる時の憂鬱さが襲ってきます。なるべく早く会話が途切れることを願って、返事を簡略にしているのですが、それが仇となって長引くこともあります。その辺りは、駆け引きというか、経験というか、優しさが足りないというか、さてどれでしょう。この問題は、立場によって大きく回答が分かれることでしょう。僕のような、話を聞くのが億劫なタイプは、駆け引きを上手にしなければ、と考えてしまうのです。話をしたい人にしてみれば、優しさが足りない、となることでしょう。その辺りが、夫婦はパラレルだ、と言われる所以でしょうね(注:誰がそんなことを言ったのか)。さて、そのソニーのデジカメは、フィリピンでシュノーケリングをしている時に海水が入ってしまい、故障してしまいました。データはメモリースティックに全て残っていたので、写真は消えませんでした。その時、フィリピンを案内してくれた、亡き友人が、写真のデータが消失していないか、物凄く心配してくれました。彼女はとても優しい人でした。彼女が映っている写真は大量にあります。レンズを向けると、必ず笑顔でポーズを決めていました。ですから、僕の記憶の中に、そのデジカメの思い出は、彼女と一緒に仕舞ってあります。

    威厳は無いかも?