• Coffee

    何となくメッセージを受け取った

    昨日の話題に上りました、バナナラテを、今朝飲みました。その結果、何故、あれほど安売りされていたのか、何となく理解できました。美味しくない、という訳ではありません。しかし、甘ったるいという感じですね。バナナチョコレートに、キャラメルを加えたような、少々しつこい甘さを感じます。他の表現ですと、バニラエッセンスを、無理矢理甘くしたような飲み物というのでしょうか。これは人には絶対に勧める事はできません。僕は、多少勿体ない精神が植え込まれているので、味覚を最大限、鈍くすることで何とか乗り切ることができます。これは、結構便利な機能でして、たいていの料理に対して、「美味しい」と評価を下す事が可能になります。このブログを、奥様が読んでいないという前提で書いています。少し、ドキドキしてきました。万が一、読まれて誤解を招いた時のために、精一杯のフォローをしておきますが、奥様は何時もマイペースに人生を楽しんで、料理も洗濯も子供の相手も上手にこなす、素晴らしい女性です。彼女の勧めた作家さんが、僕の人生に大きな影響を与えました。これは、彼女の思し召しと言うほかにありません。最初、その作家さんの小説から読み始めたのですが、余りにもペースが速すぎて、購入が追いつかなくなりました。全盛期は1年に、10冊以上も上梓されていました。もちろん、小説だけでなく、新書、エッセイ、文庫を含めます。それにしても、それだけのアウトプットがどうやったら出来るのか、不思議です。ご本人は「書くことが尽きる事は無い」と仰っています。本当にその通りで、毎日、ブログで工作のご報告などをしていらっしゃいます。その作家さんの小説は、2シリーズくらいを購入して読みました。そのあとも別のシリーズ小説が出版されていますが、それらは諦めて、エッセイを購入して読むことにしました。面白いと思ったのは、エッセイの中で、「小説なんか時間の無駄だから、読まなければ良い」と、読者に対して発信しているのです。卑屈というか、正直物というか、それだけあっさりと言い切れるのが、爽快であり、「この人の言う事は、本質的で学ぶことが多い」と気付きました。もちろん、同じ文章を読んでも人それぞれ、感じ方は違うでしょうけれど、僕にとって、学びたいと思える師との出会いは、エッセイに凝縮されていた言葉たちがきっかけと言えます。ファンクラブにも入り、講演会に抽選で当たった事もあるのですが、予定が合わずにキャンセルとなりました。非常に残念な気持ちでした。しかし、これもその方のエッセイに、「直接会う事に何の意味があるのか。コミュニケーションを言葉で行う以上、メールでも会話でも解釈は変わらない」という旨の文章があり、「ああ、そうだな」と納得した次第です。ついつい、言葉を発する「入れ物」を興味の対象としてしまい、本質的なモノの見方が出来ていなかったのです。さて、バナナラテは、開発に携わった人たちが、美味しいと自信を持って商品化された筈です。その想いを、無下にするような批評は止めて、明日は美味しくいただこうと思います。トーストを浸して食べたら、案外イケるかもしれません。奥様にも相談してみましょう。

    具現化される発想