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ゲームを見つめなおしてみましょう
今までにゲームをどれほどの時間遊んだのか、計り知れませんが、コンピュータゲームに拘らなければ、毎日何かしらのゲームをしているのではないか、と思います。身近な例として、自分の生活で自由時間を獲得するために、日々発生する雑務をどのように合理的に処理するのか。朝起きたら「あれをやってこれをやって」と脳内は忙しく動き回っています。肉体的な動きはかなり遅れてきますから、客観的にはそのシミュレーションが行われていることなど知る由もないのですが・・・とはいえ、普段から思考と行動は伴わない場合が多く、時間的なギャップを埋めながら生きている状態です。むしろ、イメージだけ固めておけば、あとは肉体がそれを順番に実行するだけで良くて、このあたりの感覚がゲームに似ているな、と思う所以です。ゲームとは必ずしも実体が存在する必要はなくて、イマジネーション上で行われている事もあるということです。むしろ、この実体がないゲームほど、有益ではないのかと言いたいところですが、一般には(本人から情報が公開されない限り)捉えにくい部分ですから、以降の「ゲーム」とは、コンピュータゲームを表していると考えてください。ゲームをする子供たちを見て、「世も末だ」なんてぼやく人たちがいらっしゃるようです。ご高齢がつぶやく分には「余も末だ(天国が近い、の意)」と言っていると解釈できますが、そうでない人たちであれば、いったい何を悲観しているのか、と言いたくなります。何度でも言おうと思いますが、テレビに比べれば、ゲームで遊ぶ方がどれだけ健全でしょうか。今のテレビの内容はさておき、コマーシャルも下品ではないですか?子供が観ている時間帯でも、いわゆる「下世話なドラマ」の広告を流すのですから。そこには暴力的なシーンも含まれます。それだったら、もっと「リアル」を観させてくれないか、と願います。戦争の映像はショッキングではありますが、あれがどれだけ悲惨な行為が、知っておくべきだと思います。食べ物が無くて困っている国の映像などは、滅多に放映されません。民放であれば、食べ物を粗末にするバラエティ番組が存在します。民放も存続のためになりふり構わず、なのでしょう。継続しなければならない、という使命感は理解できます。しかしながら、余りにも極端な、というか露骨な番組が多いのではないでしょうか。以前に書きましたが、制作費というか予算が少ないなら、番組を有料化すればよいのです。本当に観たい人は、お金を払いますし、そこから得られる情報は大きな意味を持つはずです。NHKの場合は、お金の取り方に問題があるわけです。必要のない家庭でもテレビを置くだけで受信料を払いなさい、というのは、商売としていかがなものかと。せめて選択権を与えるべきなのです。税金として、国がNHKから徴収しているのでしょうか。違いますよね。まるで国営として振舞うその姿勢に、疑念しか生まれません。奥様はテレビが大好きなので、あまり大声では言えませんが、必要のないものだと常々思っています。それではゲームはどうでしょうか?暴力的なゲームがとても人気がありますね。現実の世界ではありえないような物理現象を可能にしている場面もありますが、それはゲームの世界だから楽しめることです。また、飛行機や自動車、船を操ったり、恋愛シミュレーションをしたり、囲碁や将棋をしたり。最近ではインターネットを活用して遠方の人と同じゲームで通信しながらプレイする事も当たり前になってきました。独りで没頭するも良し、皆で(仮想空間上に)集まってワイワイ楽しむのも良し。スマートフォンの登場により、場所やスタイルに拘らずに、好きな時に出来る、という点が多くのゲーマーを産み出している要因であると思います。しかし一昔前のファミコン世代でも、今ほど自由度はありませんが、誰かの家に集まってワイワイ楽しくプレイしていました。それらから思う事は、コミュニケーションツールとしての側面で、無視できないほどの存在であるという点です。ゲームが無い時代は、他のものがその役目を果たしてきたはずです。鬼ごっこやかくれんぼなどは、素晴らしいコミュニケーションゲームですよね。今でも子供たちが当たり前のようにそれで遊ぶのです。時代が流れ、環境が変化し、ライフスタイルも個人志向になりつつあります。これからは、さらに「孤独化」が進む事になるでしょう。人が移動するのではなく、モノが移動するのです。つまり、家から外出する必要が減少していきます。そうなると、バーチャルな世界と現実世界との境界はそれほどなくなり、誰もがゲームをするように、自身の生活をデザインするでしょう。必要なのは、通信が可能な環境です。これって、いわゆるゲーマーが既に築いている(或いは気付いている)世界観と同様なのです。先取しているとは言いませんが、最適化されている、と言っても過言ではないでしょう。そんな彼らを否定するような行為は、建設的ではないというお話でした。
若者の集い