• 雑談

    明るい話題という幻想

    最近は、何か暗い話題というか、愚痴っぽくなっていましたので、今日は明るい話題を提供しましょう。いえ、提供できるように努力しましょう。あるアイドルグループの一人が問題を起こして、エンターテイメントのニュースはそれで持ち切りです。ここぞとばかりに、各報道機関、ライタなどが取材し、記事を書き、一斉に報道、拡散されます。その内容たるや、「よくもまあ、ここまで」といった記事が多数、という印象です。これだけニュースに上がる、という事は、そういう需要があるのですね。世間が求めているものが何か、ニュース欄を見ていると、垣間見えるような気がします。それほど、しっかり見たことはありませんが。さて、テレビの番組は、最近どうなのでしょうか。基本的に、僕はテレビを見ません。奥様は大好きです(テレビを観ることが、ですよ)。子供たちは、好きな番組が幾つかあるみたいで、それは観ています。食事の時は、テレビは消します。実家では、テレビに背を向けて食べていました。嫌いという訳ではなくて、ただ、テーブルの配置と、僕の座る場所(固定)が、たまたまそうだったのです。子供の頃は、テレビが映らない(電波が届かない)場所に住んでいたので、生活の中にテレビが無くても平気でした。今でもそうです。不思議に思うのは、新築のリビングルームのレイアウトを写真やネットで見る時がありますが、テレビありきのデザインというか、そういう家具の配置が多いな、という印象を受けます。テレビのために、ソファを置き、その前にテーブルが置かれ、テレビの下には、テレビボードが置かれています。最近は、テレビを壁掛けすることも簡単に出来ますね。それだけ薄く、軽くなったということでしょう。テレビ周りの家電は、DVD/BDプレーヤ、或いはレコーダが置かれ、音響システムのスピーカも設置し、録画用の外付けHDDが接続されたりします。テレビの周りに、それだけの家具、家電が集まるのです。それがスタンダードだ、と言わんばかりのレイアウトを見せられるのですが、なんというか、望外の驚き、とは言いませんけど、魅力がイマイチ解らないですね。映像を見続けることに、少し抵抗があるというか、目が疲れるし、頭も疲れます。映画も1本みたら、暫く休憩が必要です。それだけ、情報量が多いのです。その情報が残るわけではなく、消えていくのですが、全て残せたら、僕は今頃、どうなっていたのでしょうね。恐らく、あまり変わりはないと想像します。あまり明るい話題ではありませんね。太陽が昇る時、黄金に輝いているように見えます。しかし、少し見上げるくらいの角度になると、もう、普段の明るさに感じます。そして、日が沈むころ、また輝いているように見えます。日の出で目覚め、日没で帰宅する、というのは、日本にいると当たり前の感覚ですが、他の国では、違うところもあります。北極圏や南極圏には、1日中太陽が沈まない「白夜」や、太陽が沈んだ状態が続く「極夜」があるそうです。日本人がそんな場所に行ったら、朝なのか、夜なのか判らなくなり、生活リズムが狂いそうですね。そういう地域で花が一斉に開いたら、「狂い咲き」と言うのでしょうか。言いませんね。そもそも、極夜で植物が育つのか、という話です。光合成が出来ませんからね。では、その地区の二酸化炭素は、誰が処理しているのでしょう。コンビニはあるのでしょうか。野球は、時間的には日中でも、常にナイターなのでしょうか。逆に、白夜であれば、常にデイゲームでしょうか。植物は成長が早いのでしょうか。いろいろと疑問は湧きますが、想像してみると、面白い街のイメージが浮かんできます。なかなか明るい話題が出てきませんね。そうそう、思い出しましたが、僕はかなり根暗です。つまり、明るい話題がもともと無い事に、今気付きました。このまま終わるのは申し訳ないので、最後にジョークでも言いますか。先日、結婚10周年を迎えましたが、奥様に怒られました。理由は「何もしなかったから」です。でも、昨年、結婚記念日の事を彼女は忘れていました。その時は、笑って「そうだった。」と仰っていました。それから考えられることは、きっと、そういう重要な(と彼女が認識している)節目に合わせて、タイマーが仕掛けてあるのですね。触らぬ神に祟りなし、と言いますが、触った方が良い時も、きっとあるのかな、と(誤用)。

    エスプレッソとカプチーノ