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朝もやと杞憂
今日は小学校の卒業式だそうです。娘は小学1年生なので、関係ないのですが、その日は低学年は休みになります。そんなルールがあったのですね。全く記憶に残っていません。娘たちは、休日になると「やったー!休みだ!」と喜ぶのですが、それを見ると、通学、通園があまり楽しくはないのかな、と感じます。記憶が曖昧ですが、僕は、小学生の時は、休日という概念がイマイチ理解できていなかったように思います。ああ、でも、それは引っ越す前の学校の話ですね。今、一部の記憶が蘇ってきました。小学校5年生の夏休みまでは、田舎に住んでいたので、それまでは、休みも関係なく遊びまわっていました。一人でも山に行ったり、川に行ったり、と見知らぬ場所に行くことが多かったです。不思議なのは、今は、かなりの方向音痴なのですが、当時は、迷って帰れなくなった、ということが一度もありません。たとえ見知らぬ山の中であろうとも、です。コンパスを持ち歩いていたわけでもなく、方角を常に観察していたわけでもなく、ましてや、来た道にパンをちぎって置いていたわけでもありません。これは本能としか言いようがないでしょう。素晴らしい能力であることに疑いの余地もありませんが、町中に引っ越して、すぐに道に迷ったことを覚えています。家から1kmくらいのスーパーマーケットに歩いて行き、買い物(おもちゃ)を済ませて、帰る途中で、全く道がわからなくなりました。しばらく同じ道をぐるぐるして、一度、スーパーマーケットに引き返し、もう一度家に向かって歩き出し、また迷う、というまさに迷宮入りの事件が発生しました。暫く迷ったのち、無事に帰宅できたのですが、今思えば、とても簡単な経路なのに、なぜ迷ったのか不思議でなりません。その一件があってから、町(都会)が嫌いになりましたし、一人で徒歩や自転車で出かけるということは、滅多になくなりました。それで現在もそのトラウマを引きずって方向音痴というレッテルを自分で貼り、事あることに強調しています。今は車にカーナビがあるので、たいていの場所には行けますが、もしカーナビが途中で故障したら、と考えると、ぞっとします。ぞっとしない、ではありません。迷子になると、気持ちが焦り、鼓動が早くなります。それに伴い、呼吸も身体の動きも早くなり、ちょっとした錯乱状態になります。こういう時、一度冷静になることが重要ですが、そんなに簡単にはコントロールできません。時間的余裕が無い時は、特に難しいことでしょう(他人事)。僕はどちらかと言えば、冷静になるというよりも、開き直るタイプですから、「まぁいっか。」という魔法の呪文を唱えて、事なきを得るようになりました。仕事柄、それほど重要な待ち合わせなどはありませんので、基本的にはプライベートの迷いになります、と書くと、人生に悩んでいるみたいですが、そんな事はありません。ただ、今朝は、朝5時前に目が覚めて、それから少し考え事をしていたら、気分がモヤモヤしてきました。ちょうど、迷子になった時のように心拍数が上がり、呼吸も早くなってきたのです。椅子に座って、自分に落ち着くように言い聞かせました。「これが本当の朝もやか。」なんて考えながら、ボーっとしていたら、暫くして落ち着いてきました。これは、思考における迷子ですね。どうしていいか判らない、といった時に、頭の回転が速くなるのですが、ぐるぐると同じ思考を行ったり来たり。こういう時、テンパる、という言葉が使われますが、麻雀でいうところの「テンパる」は、上がりの準備が整った状態であり、非常にポジティブな意味ですから、随分と趣が異なるように感じます。というような事を、朝6時前に起きて、考えてから、仕事に行くのです。傍から見たら、「暇人か!」ってツッコミが入りそうですが、就寝時間がやや早いので、自然と朝は早起きになります。朝から悲観することで、1日の嫌なことを想定しておき、それが杞憂に終われば、その日はハッピーですし、想定した通り、嫌なことがあれば、ハッピーではないですが、対処はできますから、OKなのです。早起きは徳がありますね。30代になるまでは、朝起きるのが億劫でしたが、今は目覚めパッチリです。本当に、ありがたい事です。年齢を重ねることは、衰えるばかりではないな、と感じる今日この頃です。
Twelve Apostles 2009/4/13