雑談

梅雨入り前の駆け込み需要

梅雨入り前の晴天が続き、素晴らしい気候に恵まれております。7日には雨の予報ですが、また回復する模様。この晴天の週末は、多くの人がお出かけしたことでしょう。キャンプや遊園地、動物園や水族館、博物館や美術館、ショッピングモールに公園、登山やマリンスポーツ。ショッピングや文化的な鑑賞行為以外は、天候に左右されますから、各地で混雑を極めたのではないか、と予想しています。ニュースではあまり取り上げられていないようでしし、あくまで予想ですが、現在住んでいるアパートの駐車場を見れば、よく分かります。普段は20台くらいの車が停めてありますが、日中は1台も無くなります。それを部屋から眺めては、「ああ、みなさん、お出かけが好きですね」と呟きながら、コーヒーを飲むのが趣味です(悪趣味)。でも、本当にそう思うのです。なぜ、家でゆっくりしないのでしょう?仕事のストレスは、発散させるためには、「動的」な行為が必要なのでしょうか?僕は「静的」な方が、落ち着くことができて、健全ではないかと思うのです。出掛けて、渋滞に巻き込まれたり、トラブルに見舞われたりしたら、それこそ余計なストレスとなりかねません。まあ、人それぞれ楽しみ方があるので、よろしいのではないでしょうか。この週末の混雑による、各サービス業の売り上げは、梅雨入り前の駆け込み需要とでも言うのでしょうか。きっと言いませんよね。だって、僕が今思いついただけですから。ならば、タイトルにするべきだ、ということで、タイトルが決定しました。かように、タイトルは流動的に決定する事が多々あります。本意では、タイトルありきの内容で然るべきなのですが(堅い人格)、このブログの約8割は後になってタイトルが当てはめられるというスタイルで成り立っているのです。昨日までで、120件(つまり120日分)の投稿をしましたが、8割という事は、96件は、タイトル未明のまま、書き始めていた、という事です。なんとまあ、事なかれ主義というか、楽観主義というか、亭主関白というか、さて、正解はどれでしょう。こんな調子ですから、有益な情報が盛り込まれていない事は、すぐに見抜かれてしまいますね。しかし、有益な情報とは何か、と考えた時に、先ずは、自分の持っている情報の価値を理解する必要があります。それが何か、と問うた時に、「NOTHING(何もない)」と一言で片づけることが出来るのが、僕の魅力ですね。そんな事を聞いているのではない、と誰かがツッコミを入れてきましたが、周りに誰もいないので、空耳でしょう。この空耳とは、一種の幻聴ですが、最近では、例えば英語の歌を聞いている時に、部分的に日本語に聞こえる箇所がある事なども指すようです。あまり良い例えではありませんが「twilight(黄昏)」の発音が「トイレ」に聞こえる、という事ですね。これは、記憶するには意外と有用な方法だと思われます。こうして、ピックアップされた情報は、不思議と定着しやすいのです。連想することで、記憶の網をつなげていくのですね。これは先日に書きました。他の人がどのように記憶しているか、あまり存じませんが、少なくとも、僕には効果があります。ただ、この空耳ばかりを考えていると、本質的な部分を見失いがちである、という懸念はあります。近似を求め続けたら、真から大きく外れていった、というような、数学音痴の僕の解説で恐縮です。この辺りまでくると、先ほど決定したタイトルから、内容がかけ離れているではないか、という空耳ではなく、生の声が飛んできそうなので、はっきりと申し上げておきますが、起承転結の「結」は、すでに終わっているのです。そう、タイトルが決定した時点で。ではその後の惰性、或いは慣性で書き続けている文章は、一体何なのか、と問われれば、こう答えるでしょう。「文章は、書き始めたという慣性により、完成する。それを良しとするのは、感性だ。」いかがですか?最後に、「問われれば」と「twilight」は、結構近い場所に記憶されています。

うなだれるシロクマ