オモチャ

最近のオモチャ事情

日中の最高気温が、25℃を超えるようになってきました。まだ今は過ごしやすいのですが、もう夏の到来が間近であるような日差しの強さです。その前に梅雨がありますけど。今年も、過去最高の降雨量を更新するような大雨が降るのかと思うと、不安ではあります。崖崩れによる土砂に巻き込まれたり、堤防が決壊して床上浸水したりするニュースが毎日のように流れるかもしれません。そういう情報が、余計に不安を煽ります。備えあれば憂いなし、と言いますが、どう備えるか、が非常に難しい。一番良いのは、災害の発生する確立が低い場所に移ることですが、そんなに簡単に引っ越すことはできません。そういう意味で考えると、日本は、住むにはリスクがやや高いのかもしれません。平和な国ではあると思いますが、天災ばかりは、仕方がありません。そんな事を言い始めたら、どこも同じようなものでしょうか。深く考えないことにしましょう。写真のキャラクタは、ミニオンズというそうですが、マックのセットを買った時についてきたものです。左の眼が二つある方がケビンで、右の一つ目が、スチュアートという名前です。ストーリーは興味が無いので、割愛しますが、このクオリティのオモチャが、500円くらいのセットのおまけで手に入る、という事が凄いなと感心しています。写真では判りませんが、後ろにボタンがあって、押すと手が動くのです。そんな事を知って喜ぶのは、3歳くらいまでの子供と、僕みたいな大人になりきれていない人間だと思います。娘二人は、すぐに飽きてしまい、「不要物」として、危うく廃棄されるところでした。それを、目ざとく発見し、救出したのが、僕ということです。これだけで、ちょっとした映画が出来そうですが、それを作るだけの気力と体力とお金がありません。あと、時間も必要ですね。これらのオモチャをどうするのかと言えば、ただ置いておくだけです。飾るわけではありません。飾るという行為は、より美しく、立派に見えるように、体裁を整えるような事ですから、オモチャを飾る必要はないと考えています。自分が楽しむことが第一です。この他にも、不要物扱いのオモチャは、段ボール箱一杯にあります。中には、本当にどうしようもないもの(特にぬいぐるみ)があります。それらの処分は、しばらく考えてからにしようと思います。急に、子供が「そういえば、あれは何処にいった?」と聞いてくることがあるので、その時に無いと、かなりのショックを受けることになりますから。子供の頃、自分で不要になったオモチャを処分して、忘れたころに「そういえばあれは何処にあるかな」と必死に探し回った挙句、自分で捨てた事を思い出し、泣いた記憶があります。これもちょっとした映画になりそうですね。タイトルは「償い」でしょうか。センスがありませんね・・・そういう事があって、オモチャはあまり買わなくなりましたし、買ったら壊れてボロボロになって不要になるまでは捨てないようにしていました。モノを大事にする、という考え方を子供たちに教えるのは難しいですね。今は本当にあらゆるモノが手軽に購入できるようになりましたし、オモチャはクオリティの高い完成品が多く、また、ゲームは、スマフォやタブレットPCで手軽にダウンロードして出来るのです。自分自身、よく目移りしないな、と感心していますが、子供たちはやはり、あれも欲しい、これも欲しいと次々に要求してきます。情報が簡単に入手できるので、存在を知れば、欲しくなるのは当然です。一つのオモチャでいつまでも遊ぶ、というような事ができると良いのですが、なかなかそうは問屋が卸しません。実際は、問屋が卸しているから、子供たちがオモチャで遊べるのですが。おまけで貰えるようなオモチャでも、作り手の「想い」が必ず込められているはずです。デザインした人は、少しでも手にした人に喜んでもらえるように一所懸命考えたと想像します。そういう「想い」を、個々のオモチャに見出すことが、最近の僕の楽しみであります。また、そういう「視点」が、本質的なモノの考え方ではないかと思います。

おまけのミニオンズ

コメントを残す