哲学?,  雑談

光明な道標

今日は3月16日ですね。カレンダーに「大安」と書かれていますので、何か縁起が良い日なのでしょう、きっと。Amazonさんで大安売りしているわけではなさそうですね。来年あたりに「Amazonの休日」という祝日が設けられないでしょうか。そうですね、6月あたりが最も喜ばれるでしょうね。誤解されるかもしれませんが、決して、Amazonで買い物ができない、という意味ではありませんので。冗談半分ですが、それくらい、貢献しているのではないでしょうか。そんなことありませんか。Amazonは、今後は、さらに生活に密着してくるでしょう。これ以上密着されたら、たまらん、という距離間の話しではなく、あくまで「生活を様々な方面で支えてくれる」ということです。しかし、オンライン決済に消極的な人々も当然いらっしゃるわけで、その気持ちはよく理解できます。単純に、オンライン決済を信用できない、という理由ですね。これは両親がそう言っていましたし、他の人も同様であると予想ができます。実際に確認したわけではありませんが。確かに、あの手この手で詐欺を企む集団がいるわけで、そういう連中に騙されたら、たまらないですね。自宅にも、よく、セールス電話だけでなく、オレオレ詐欺の電話がかかってきました。一度、母が電話に出たら、受話器の向こうで、泣きながら、男の人が「悪い人に騙されて、お金が必要になった」と言われたそうで、その時、僕は夜勤明けで、家で寝ていたのです。それで、母が「息子は今、家で寝てますけど!」と言って、事なきを得ました。その時、僕が家にいなかったら、どうなっていたのだろう、という話をこの前、母としました。今でこそ笑い話ですが、当時は、家の中は修羅場の様相を呈していました。誇張かもしれません。しかし、普段は落ち着いている母が、その時は取り乱していたので、寝起きでしたが、しっかり記憶に残っています。そんな事があったから、両親は、勧誘やセールスはもちろん、オンライン決済なども、信用できないという立場です。僕は素知らぬ顔で、通販を楽しんでいます。というか、通販がここまで普及してくれて本当に助かります。感謝の気持ちで一杯です。買った荷物を届けてくれますし、店員の人と話さなくて済みますし、何よりも、自分の欲しいものが簡単に見つかります。わざわざ、お店に行って、ぐるぐる探し回って、結局見つからない、という時間は、本当に無駄に感じていました。他人の買い物に付き合うのも、あまり好きではありません。大きい声では言えませんので、こっそりここに記しておきます。今後は、AIとIoT(人口知能とモノのインターネット)の発達により、多様なサービスが生まれることでしょう。その恩恵にあずかることができるのは、ひとえに、先人のおかげだと思います。この時代に生まれ、生活できることを、本当にうれしく思います。願わくば、仕事時間がもう少し短くなって、休日も年間150日以上になりますよう。さすれば、さらなる幸福の礎にならんことよ。と僕の中の誰かが叫んでいます。面白かったので、そのまま記しました。

ビーチサンセット

これは、2008年8月22日に、西オーストラリアのケーブルビーチで撮影しました。モーセの十戒のお話で、モーセが手を挙げると、海が割れてヘブライ人は反対側に渡ることができ、後から追いかけてきたエジプト人は溺れた、という部分が有名ですが、海が割れる、という表現は、この写真にピッタリだと思いました。太陽に向かって歩いていきたくなります。僕だけですか?しかし、実行するには、少々度胸がいりますね。エリマキトカゲのように、水面を走ることができれば、何とかなりそうですが、そういう問題ではありませんか。この夕日は、切なさよりも、気力を与えてくれる感じがします。「明日も楽しく生きなさい。」と語りかけてくれているような、そんなポジティブな印象を受けます。暖かい日差しが本当にありがたい、この季節。この太陽系の惑星に、想いを馳せることも楽しみのひとつでしょうか。

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