春分の日と新聞紙は似ている
春分の日。天候は朝から雨模様。午後からは曇りとなりました。お彼岸の真っ只中のようです。母の誕生日に花を買っていこうと、花屋さんに寄ったら、お彼岸用の花のコーナがあり、そこでようやく「今日はお彼岸なのか」と気付きました。仏教の言葉のようですが、世間的には関係なく使われているような雰囲気もあります。クリスマスやハロウィンと同じような感じですね。もともと、仏教や神道その他宗教行事には疎くて、周りの人たちに「右ならえ」で過ごしてきました。作法というものを今でもよく理解していません。40歳になりましたが、そういう世間の常識というものに全く興味を持ちませんでした。理由は、よく判らないからです。これは、自分の一生のテーマかもしれません。「人間の行動心理について」というテーマが最も近いかも。心理学を学ぶ必要があるのでしょうか。それとも哲学でしょうか。群集心理というものがあるそうですが、動物や昆虫でも、無意識の集団行動が、全体的に見ると合理的な生態系を築いている、という例もあるようです。アリ塚が分かり易いですね。個体としては、あのモニュメントのような構造物を築こうとしているわけではなくて、ただ近くの仲間と同じ行動を取っているのです。それが集合すると、不思議とあのアリ塚が生まれるのです。人間の際たる例は、戦争でしょうか。適切な表現ではないかもしれませんが、知能を有した生物がそのような集団行為に陥ってしまう、という事に対して、警鐘を鳴らす必要はあります。こんな所で鳴らしても、と思われるかもしれませんが、それはその通り。もっと広範囲に伝えなければならないことでしょう。しかし、繰り返しますが私たち人間は知能を有しているのです。それは、他の生物とは比較にならないくらいの高度なものです。にも拘らず、他の生物でも起こさないような「破壊行為」に至ってしまうのです。破壊行為は、地球上のバランスを崩す、という意味です。もちろん、過去を見れば地球の変化は、生物にとって時には厳しくもあり、多くの生物が絶滅を強いられた時代もあったようです。それは、さまざまな宇宙レベルの要因があったからだと想像します。しかし、現地球上において、人間がそのバランスを崩そうとしている事実は、それほど楽観視できる事ではないでしょう。過去から学ぶことは沢山あります。同じ過ちは繰り返さないように、祈るばかりです。さて、タイトルについて、同音異義語ではなくて、何というのでしょう。近いのは「他人の空似」でしょうか。