時間を知りたい
土曜日です。一日の中で何回かは意識的に時間、日付、曜日を思い出すようにしています。というのも、それを行わないと、時間の概念を忘れてしまう事があるからです。時間は、何となく判るかもしれませんが、日付、曜日になると思い出すのに時間がかかりますし、最悪、思い出せない事もあります。パソコンやスマフォ、時計といった機械が無ければ、いったいどうやって日付を確認すれば良いのでしょう。毎日、何かしらの印(例えば正ちゃんマーク)を残しておかないと数える事もできなくなりそうです。時計が無い時代は、時間の概念はどうやって共有していたのでしょう。太陽の位置と影から読む日時計は、太陽が見えている事が前提ですから、曇りや雨が比較的多い日本ではあまり適していないと思われます。少し調べて見ると、江戸時代は日の出と日没を基準とする不定時法が使われていたそうですが、この方法だと、冬と夏の時間感覚が全く異なるものになりますね。しかし、明るい時間に仕事を済ませて、暗くなったら帰る、という生活はシンプルで良いと思います。時間に終われる現代の社会よりも健康的だと言えます。工場の交代勤務は、今では当たり前ですが、昔でもお城の守衛は恐らく交代勤務だったはずです。夜中も門番は立っていた事でしょう。そう考えると、夜勤と言うのは今に始まったことではありませんね。時間の共有方法という点では、江戸時代などは、「鐘」が使われていたそうです。時刻を定める場所があり、そこにある鐘を定時で鳴らします。その音が聞こえる範囲に、別の鐘を置き、鐘の音が聞こえたら、各地点でも鳴らし、遠くに伝播させていったそうです。ここに、ネットワークの基礎があったのですね。他にも、敵の侵入などを伝えたと言われる狼煙台や、灯台もネットワークの一部です。情報の共有は、古代から研究されており、日本のような閉じた国でも、独自の方法が考案されたのですね。その本質的な部分は同じであり、伝達を早く精確に、という目的が果たされてきました。ヒトが地球上で支配階層の生物となったのも、この情報共有に優れている点があると言えます(僕が勝手に言っているだけですが)。ゆっくりとした時間の流れに身を置くことで、多くの学びを得た事は様々な記録から明らかです。そういう環境を得ることが、或いは人生の目的とも言えます(僕が言っているだけですが)。