雑談

干支にイノシシとは?

あけましておめでとうございます。本年もCOBA-LOGを続けるかどうかは気分次第のボーダーライン上でございます。もともと、言いたいことがあって始めた訳ではありませんから、続けることに意義があるわけではない、と考えていたのです。しかし、気付けばもうすぐ(といっても始めたのは2月4日ですが)1年が経過しようとしています。ただの思い付きをよくもまあ、懇々と書き続けたものだな、と自分でも呆れているモノであります。一体目的は何なのか、何を発信したいのか、全く不明瞭なままの文字列たち。公の場に解き放ち、ただ雲のように漂い、消えていった訳でもなく、フワフワしているようです。気付かれないようにしているのではなくて、ただ目立たないだけです。それほどの価値がない、とも言えます。言葉の価値とは何でしょう。同じ言葉が、発信する人によって意味が変化する訳ではありませんが、「伝わり(伝藩)易さ」というものは、確実に異なります。それは単に社会的地位、知名度等による違いです。では、その社会的地位、知名度を築くのに使われたツールは?その内の一つは間違いなく「言葉」でしょう。洗練された言葉により、周囲の信頼を得て、ポストが与えられ、発信する言葉に重みが加わり、より広い範囲に届くようになります(あくまで僕の認識です)。言葉の重みが無ければ、広い範囲に投げかけても、宙に消えていくことでしょう。人々の意識に落ちていくだけの「重み」、それが言葉の価値ではないか、と思います。それでは普段のコミュニケーションにおける言葉の価値とは何でしょう。ただ形式的なやりとりもあります。勤務先での挨拶では、「とりあえず」挨拶をしているヒトが、僕を含めてどれだけいるのでしょう。それがもたらすものは、残念ながら何も期待できないのではないでしょうか。言葉の上で形式的になるのではなくて、言葉を発する姿勢を正し、はっきりと発音する。基本的な造作というのが、実は美しい「形式的な」挨拶であるのかもしれません。簡単にはできません。ある程度の訓練は必要だと思います。それは、精神を鍛練するという修行も含まれているからです。動作だけの問題ではないのです。たかが挨拶。されど挨拶。ブログでは姿をお見せできませんので、せめて言葉だけでも、気持ちよく表現していきたいものです。

形を楽しむ