シンボルが変わる意味
少し前の事ですが、陛下が国民に対し、異例の「お気持ち」を示されて、生前退位(譲位)する旨をお話されました。その事が、政府にとっては大きな衝撃があったそうです。そのお話の内容が、安倍政権にとって好ましくないものだったとか。改憲について、公の場で反対の意を示されたようです。また、日本国の象徴としての「在り方」について、お気持ちを述べられました。これは今上天皇が国民に対して、「このままでよろしいのですか?」と疑問を投げかけていらっしゃるのかもしれません。知らないところで、大きな争いの火種がくすぶっているのでしょうか?そうであれば、今の(比較的)平和な日本を維持するために、国民が何をすべきか、熟慮する必要があるのかもしれません。ところで、女性宮家が問題になっているようですが、国民の総意は果たしてどちらなのでしょう。それに反対している人たちは、どのような立場の集合なのか存じませんが、国の体裁というものがあるのなら、女性宮家反対は仕方がない部分かな、と思います。日本国の象徴である以上、そういった「しがらみ」がどうしても絡んでくるのでしょう。ただ、客観的に見ていると、政府の都合の良いように扱われているのではないか、と心配になります。ところで、恐れ多くも書かせていただきますが、一度もお会いしたこともない方に対して「敬う」という概念は、小さい頃にはなかなか難しい概念でした。学校では歴史を学び、皇室の存在を知りますが、そこで「象徴」という言葉が出てきます。「象徴」とは?と子供心ながらに思いましたが、全く理解できませんでした。そもそも「日本国」という言葉がイメージできませんでした。そこに加えて「象徴」ですから、なんのこっちゃ、という感じでした。敢えて言うなら「代表者みたいな感じかな」と認識していたのです。ですが、最近になって、もう少し学んだ方が良いのかな、と感じました。それは、自分が働いているという事も影響していますし、信仰という概念を漠然と考察した経験から、「象徴」ってすごいじゃん!と感じたのです。しかし、重要な事は、「象徴」が存在する以上、その対象となった抽象的な概念があり、それが日本国であるということです。日本国、つまり、日本国民は象徴をお手本としなければならないのではないか、ということです。あまりにも個々が好き勝手にモノを言ったり、行動したりするのは、美しいとは言えないですね。また、「自由」という言葉が用いられますが、「秩序」があっての「自由」です。ただ本能の赴くままに動くのは「自由」ではなくて、言葉が悪いですが「野蛮」とも言えます。では「秩序」は何によって与えられているか。それが憲法であり、信仰であったり、学問であったりします。この「秩序」を大切にするべきだ、というのが、僕なりの「おはなし」の捉え方です。さて、僕にとっては少し難しい内容でしたから、時間がかかってしまいました。明日は日記らしく行動を記して、楽をしましょう。