貢献も休み休みにしなさい
休日出勤というのは、滅多に有りませんが、たまには良いものだな、と思いました。僕の作業はある程度自由度が高いので、自分の好きなように段取りを組めます。もちろん、出荷日に対して順番に取り組むのが基本ですが、原料調達の関係で前後する事も頻繁にあります。出来るだけ後の工程に余裕を見て仕掛品を出すようにしています。平日ですと、様々な雑務(例えば荷物の受け取り)が襲ってくるので、自分の作業に集中てきません。社内ではPHSを携帯させられているので、かかってきたら無視をするわけにもいきません。それが憂鬱でもあります。ところが休日に作業をするとどうでしょう。邪魔が入らないのでのびのびと、それでいてサクサクと作業が進みます。これば素晴らしいですね。余分な手当は要らないから、休日に仕事をさせてもらいたい、と本気で感じました。平日に休みを頂ければそれで僕は構いません。会社は嫌がるのでしょうね、管理監督が難しくなりますからね。放っておいても仕事をする人は、裁量制で良い気がするのですが、ダメなのでしょうか?サラリーマンですから、そこは仕方のない事なのでしょうね、きっと。自分の事なのに、他人事の様に考えてしまいます。普段の仕事では、多くの時間をコミュニケーションに費やされる様に感じます。それほど重要な情報交換が行われる訳ではないので、何だか非合理です。例えば「あれは何時終わる?」とか「あれの出荷はいつ?」とか「あの原料はあとどれくらい必要?」などは、管理されていれば、簡単に把握出来るはずです。それが、作業者同士で確認を行わないといけないという状況が、もどかしい部分ではあります。統一されたシステムを投入すれば、ある程度は解決するのですが、それだけの余裕がないのです。金銭的にでは無くて、アイデアとして生まれてこないのですね。改善提案なりを提出すれば良いではないか、と思われるかもしれませんが、何度も却下されてきたので、それほど需要が無いのだろうな、と考えています。こういう改善提案などをあまりしつこく提出するつもりはありません。1度提出して駄目であれば、「あぁ、それほど必要とされていないアイデアなのだな」と諦めがつきます。諸先輩は、何度も何度も同じ内容を突き付けてやれ、とおっしゃっていた記憶があります。こんなに執着心が無くていいのかな、とたまに考えますが、人それぞれということで、お茶を濁しておきましょう。改善提案という物は、結局は上司の選り好みで決まる部分がありますから、意にそぐわないモノは、たとえ予測される効果を定量的に示した所で、首を縦に振ってはくれません。それでも、後々に「やっておけば良かった」と後悔されても、こちらとしては「以前、進言しました」と言うしかありません。上司にとっても難しい判断だとは思いますが、先ずは却下する前に専門的な知識を有する人を招いて検討して頂ければ良いかと。休日出勤した場合、代休の取得が可能になりますが、僕はすぐに消化します。身体は完全に定時の男ですから、1ヶ月で決まった時間しか働かない、という困った社員なのです。ただ、これでも少しは社会に貢献できている、と考えることが拠り所となっていますね。社会貢献とは、時間の量によって決まるわけではないと思います。人それぞれ、働いていれば、様々な形で貢献しているはずです。働くとは、決して労働を指している訳ではありません。例えば、趣味で1枚の画用紙に風景画を描いたとしましょう。それを見て感銘を受ける人や喜ぶ人がいれば、絵を描くことで人々に幸せを与え、社会に貢献した、と言えると思います。重要なのは、そこにスポットライトを当ててあげることが出来るかどうか、ではないでしょうか。
