呼吸を観察する
ふと、ため息が出る時があります。最近、特に多いな、と自覚しているのですが、ついつい出てしまうのです。ため息はあまり良いイメージを抱きませんが、リラックスする為の深呼吸だと思えば、それほど悪しきものでもないことでしょう。人と会話している時に、意図的にため息をつく場合がありますが、それはある意味、対話における道具みたいなもので、それにより、相手に威圧感を与えたり、失望感を伝えたり、共感を求めたりと、様々なシチュエーションで用いられています。高校時代のクラスメイトの口癖が「ため息をつくと、幸せが逃げるよ」でした。確かに、客観的に見て、ため息をつく姿は幸せそうではありません。みっともない印象を相手に与えてしまうのも事実かもしれません。今後は、ため息をしそうになったら、もう少し息を吸って、深呼吸に瞬間的に切り替えてみようかな、と思います。過呼吸になる可能性もありますが、それくらいのコントロールは出来るはずですから、ほどほどに取り組むことにしましょう。時々、夜中に目が覚めると、子供が呼吸をしているか確認することにしています。特に注意しているわけではないのですが、なんとなく、不安になるのです。耳を澄ますと、「スースー」という寝息が聞こえてきて、「ああ、良かった。ぐっすり寝ているな」と分かり、眠りに戻ります。次女は、夢を見ている時の寝言が多いようで、急に叫ぶようにしゃべる事もあります。笑っている時もあるし、シクシクとすすり泣きをしている時もあります。そういう夢を覚えているらしく、朝食の時にどんな夢を見たのか、家族に教えてくれます。誰が出てきて、何をしゃべったか、事細かに話すので、たいしたものだなあ、と感心してしまいます。僕も人前でそれだけ堂々と話す事ができたらなあ、とあらぬ願望が出てきてしまいました。ところで、ため息は「溜息」と漢字で表されますが、字面を見るかぎり、息を溜める、つまり息を吐くのではなくて、吸う方の意味ではないのか、と思ってしまいます。息を溜める事で、結果として、長い吐息になる、ということでしょうか。どうでも良い事かもしれませんが、気になりますね。あとは、「ため息が出る美しさ」と「息をのむ美しさ」では、どちらがより美しいのでしょうか。後者は、呼吸を忘れるほど、感動するということですから、より強調されるのかなと。前者は、諦めがつくほど、つまり、比類なき美しさということでしょうか。であれば、使いどころが若干異なりますね。まあ、個人的な感覚であり、辞書の意味とは違っていますから、あしからず。ちなみに、奥様を形容するならば、「あっけらかんとした美しさ」でしょうか。怒られますか?「あっけらかん」の意味をあまり理解していないのですが・・・近年日本の夏は「呼吸がしんどい蒸し暑さ」と言えますし、人間関係においては「息が詰まるような気難しさ」が際立ちます。さて、今宵も夜露により、気温が下がるようです。朝は晴天になれば気持ちの良い時間となることでしょう。台風が近づいているので、どうか早めに温帯低気圧に変わりますように。できれば、日本列島から遠ざかってくれたらありがたいですが、この思いが伝わる確率を考えれば、ため息がでてしまいます。はぁ~。