通勤

我アラフォーにて惑わず

今日は金曜日ですね。明日からは3連休。楽しみです。何が?っていうと、好きなことをできる時間があるから、それだけでワクワクするのです。実際は、睡眠6時間、食事風呂雑務などで2時間、子供の相手(主に散歩か、見張り)に2時間。残り14時間は好きに使えるでしょうか。買い物とかがあると、もっと減りますね。それでも、仕事のある日に比べれば文句のつけようがありません。酒やたばこ、ギャンブルは一切しません。テレビも新聞も見ないし、ラジオも聞きません。友達が少ないので外出もしません。ほとんど家の中です。引きこもりです。しかし、思考は絶えず自分の世界(内宇宙?)を巡っています。いえ、正確には絶えずではなく、多くの時間、ですね。最近は、自分が学生時分にまじめに勉強しなかったせいか、勉強するようになりました。特に数学は、高校1年生の基本からやり直しています。反動、というものでしょうか。今更か、と思われる方もいるかもしれませんが、勉強というのは、本人が意欲的な時にするのが最も効果的ではないですか?今になって高校生レベルの勉強をすることが恥ずかしいとは全く思いません。むしろ、それを非難する人というのは一体、どれだけ偉い人なのでしょうか。学びたくなったから学ぶのです。時間の無駄だとは考えていません。むしろ、近道をしている、と考えています。かの有名な人の言葉で、「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」があります。僕はこれを実行しているだけです。確かにもっと若い時から実行していれば、今頃は・・・なんていう仮定こそ時間の無駄です。現実は僕の目の前、あるいは心の中にあります。しっかりと受け止めて、生きなければ、将来がまじヤバイっす。

朝の光景

代わり映えしない写真で恐縮ですが、朝の通勤の途中です。どれだけ川が好きなのか、と自分でもツッコミたくなりますが、美しい景色は、やはり美しい。そして、同じ景色というのは、二度と見れないのです。自然は絶えず変化しているのです。この地球も絶えず宇宙空間を移動しており、他の惑星との相対的な関係は常に変化します。つまり、同じ空間は二度と発生しないのです。タイムマシンが仮にできるなら、この宇宙空間そのものを変化させることを意味します。それだけのエネルギを人間が造り出すことができるでしょうか?話が飛びましたが、こういう小難しいことを考えることができる時間は、3分くらいです。ですから、時間切れで戻ってまいりました。写真では判り難いと思いますが、アヒルが川を泳いでいるのです。そのアヒルが太陽光を浴びてきらきらと輝いていました。僕が撮りたかったのはその部分ですが、こうして見ると、太陽の存在感が強すぎて、あとアヒルが小さすぎて伝わらないですよね。それでもいいのです。僕が切り取った映像は、一生再現できない時空なのです。その連続が、人生というものであり、これらは微分、積分の考え方ではないでしょうか。意味不明でしたらごめんなさいね。

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