• 雑談

    シチューをかけたのか

    性懲りもせずに、自分の古い文章を掲載します。今回は、一般的にはクリームシチューと呼ばれる食べ物についてですが、これをご飯にかけるか、かけないかのお話です。カレーライスであれば、カレーのルーがご飯にかけてあるものが一般的に認識されていますから、違和感を覚える人は少ない事でしょう。しかし、これがクリームシチューとなると、話は別物になります。正直、個人的には割とどうでもよいと思う内容ですが、これまでの人生で気付いたのでしょう。意外と、気にする人が存在するということを。それを文章として残すあたりが、自分の奥ゆかしさを感じます(怪しげな表現ですね)。


    シチューはご飯にかける

    これはたまに議論の対象となるけど、僕としては、シチューとカレーは「オン ザ ライス」が基本となる。「かける派」の良い点は、いずれのパターンにも対応できること。かかっていないなら、かければ済む話。
    しかし、「かけない派」にしてみれば、つらい場面もあるだろう。何故なら、たまたま他所でご馳走になる時に、普段はかかっていないシチューがご飯の上にのっているのである。それはもう、何というか、「狂気の沙汰」としか思えないわけだ。その後の展開は言うに及ばす、といったところ。
    これは、「AならばB」とは限らないことが世の中には多々あり、何事も事前に確認するのが安全側の行動である、という一つの教訓かもしれない。
    しかし、国際化が進み、異文化を経験する機会も増えてきているはず。「郷に入っては郷に従え」の精神を現代人は持ち合わせるべきだと思うのは僕だけではないはず。
    ちなみに、奥様(敢えて敬称)は、「かけない派」だけど、「かける派」の人の気持ちは理解できるそう。素晴らしいと思う。

    ところで、僕の親兄弟で「かけない派」って誰かいるの?


    と、まぁ、内容としてはスープシチューのような、ご飯にかけるにはシャビシャビ過ぎない?というくらい薄っぺらな話です。いや、表現の問題かもしれません。「弘法筆を選ばず」というように、素材が悪いのではなく、それを利用する技術の問題ということですね。コンピュータが発達した現在、字を綺麗に書くという能力は、それほど重要に思われなくなっているのかもしれません。字を綺麗に書く、ということは書道ですね。書道を習うという事は、茶道、華道、剣道でもそうですが、「道」を学ぶのが、メインだと思います。「道」を学ぶ上で、必要な素養というのが「躾」です。家だけではなく、そういった様々な場で「躾」を学ぶことで「品」を身につけます。この「品」が、生活に大きく影響するのかどうかは定かではありませんが、やはり「品」のある人は、どこか魅力的です。「道」は平等に示されているとは言えませんが、チャンスは何処かにあると思います。そこでどれだけ学ぶのか、あとは自分次第なのですね。子供にそれを説明することはとても難しい。はっきり言って、僕に素養が無いので、説得力もないでしょう。どうしたものかな・・・