• 哲学?

    分散型読書モデル

    週末は大変お日柄も良く、引篭もるにはとても贅沢ではありましたが、屋内でのんびりとしていました。所要で外出はしましたが、自動車に乗って移動するので、屋内と何ら変わりはありません。健康面から考えれば、1時間ほどは外に出て散歩でもした方がよろしいのでしょうが、今は体を動かすよりも頭を動かす時間が必要なのです。仕事は7時間以上、立ち作業なのでわざわざ週末に運動する必要はありません、とお医者さんに言われたわけではありませんし、先日の健康診断で初対面の看護師の女性に「あら、太られましたか?」と言われる体たらくぶりですが、気にせずに座りっぱなしの休日を過ごしているのです。ほとんどの時間は文字を目で追う事に費やされています。毎日、何時間も文字と格闘しているのですが、なかなか読むスピードが速くなりません。少し進んでは、ぼんやりと言葉のイメージをしたり、意味を調べたり、違う作業を思い出したりするので、非常に効率が悪いのです。「この状態を何とかしなければいけない!」と頭の上で黄色いパトライトが回る事は無くて、無理にスピードを上げないようにしています。理由は単純で、早く読んでも理解できないから。もう一つは眠くなってしまう、或いは飽きてしまうからです。前者は、本当に自分に辟易してくるのですが、どれだけ集中しても、記憶に定着させることが難しい、というよりも、集中するという状態がイマイチ理解できなくて、だから気持ちが拡散しているのかもしれません。とは言っても、自己啓発本とか、ビジネス書などの「速読術」みたいなものには頼りたくないのです。何故なら、読書は時間をかけてこそ、贅沢な行為となり、そこに人間味があるように思うのです。忙しそうにパラパラとページをめくる様な読み方は、余裕がないように見えて、あまり好ましくありません。完全に個人の好みですが、せっかく自分が選んだ本と向き合うのですから、著者の方と「対話」をするつもりで、リラックスしてのんびり構えてはいかがか、と主張しておきます。まあ、早いに越したことはないのかもしれませんけど、年間何冊の本を読んだか、ということよりも、1冊の本から何を学んだか、という点を大事にしたいとアラフォーのおじさんがココ(このブログ)で主張しているのです。いけませんか?いえ、確かに、速読して、内容も記憶に残り、著者の考えも理解できた或いは学ぶことができた、というのは非常に合理的だとは思いますよ。中にはそういう方も本当にいらっしゃるのでしょう。それでも、僕は読書に関してはウサギとカメの、カメで構わないのです。それくらいの気持ちのゆとりは与えて頂いておりますから。誰に?うーん、誰といいますか、敢えて言うなら、「奥様」とここでは慎んで申し上げます。新年の挨拶ならぬ、信念の挨拶でございます。これは、会話では絶対に伝わらないジョークですね。え?何?文体でも伝わらないですって?またまたご冗談を・・・という悪ふざけは、たまにはガス抜き程度に行っていきたいものです。そう、ガス抜きなのです。たまには良い事を言いますね。週末の(奥様から)与えられた時間でガス抜きをしているのですね。せっかくですから、できる限り、リラックスしようと心掛けているのです。それが、ゆっくりと読書をすることで、実現できている、という現実があるから、上記のような速読反対意見表明を行っているのです。反対ではありませんね。非推奨くらいにしておきます。あくまでも、自分に対しての意見表明ですから、あしからず。さて、太った言い訳はこれくらいで十分でしょうか。夏は汗を流す事が容易なので、ダイエットには最適です。次期の健康診断で、「あら、お痩せになりました?」と言われるように精進しなければ。「あら、お変わりなく。」では絶対にダメなのです。

    読書が捗りそうなベンチ