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三国志に萌える
さて、いきなりですが、三国志について語る前に、僕は横山光輝氏のマンガを何回か読みました。その後、吉川英治氏の小説を1回だけ読んだ記憶があります。何が素晴らしいって、タイトルのたった3文字に、ストーリィの全てが集約されている事ですね。秀逸なタイトルだと思います。マンガも小説も父が揃えたものですが、それを借りて読んでいました。マンガは、結局僕がほとんど持って行き、現在は何処かに分散している模様です。管理しきれなくなると、こうなるのですね。ふむふむ。ここは素直に謝るべきですね。申し訳ありません。小説も面白いのですが、横山氏の漫画で、すっかりイメージが定着したため、特に面白さを発見できなかった、という残念な結果になりました。先に、小説を読んでからマンガという順であれば、もう少し違う楽しみ方が味わえたことでしょう。ハリーポッターと賢者の石がそうでした。先に書籍でストーリィを堪能してから映画をみたのですが、非常に楽しく観ることができました。自分のイメージと比較しながら映画を観る、というのは、一種の贅沢であるように思えます。もちろん、前情報が何もなくても面白いことでしょう。しかし、映画を観てから、書籍を読むのは、ややマンネリ化してしまいます。映画のイメージが強すぎるからです。まあ、人それぞれの楽しみ方でよろしいのではないでしょうか。三国志は、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の3つの国を表しており、それぞれ、曹操、孫権、劉備が帝となり、治めることになります。この3人だけでも好みが分かれる事必至ですが、武将、軍師が加わると、もうだれを応援して良いのか判りません。導入は、黄巾の乱ですね。蒼天すでに死す、ほにゃららほにゃらら、というスローガンを掲げ、頭には仲間を識別できるように黄色い布を巻いたといいます。きっと、仲間のふりをして紛れ込んで、情報を盗み聴きし、別のボスに伝えるといった隠密が大勢いたことでしょう。また、戦闘においては、劣勢になったら、黄色い布を頭に取りつけ、或いは外して有利な軍のほうに寝返った兵も少なくないと想像します。それほど簡単にできるものか、と訝しむかたもいらっしゃるかもしれませんが、黄巾賊の兵力は30万人以上とのことです。これだけの人数を把握し、管理することは困難を極めることでしょう。戸籍のような管理台帳がまだ無かった時代ですからね。しかし、兵の一人二人が仲間に加わろうと寝返ろうと、それほど痛手はありません。問題は、武将クラスの出入りですね。黄巾軍はいわゆる宗教団体ですから、軍としての統制は取れていなかったようです。ただ、勢いがあったため、人が集まり、結果、数にモノを言わせて侵略していったようです。これは何時の時代でも同じような現象が起こりますね。最近では、豊かな国が増えたので、テロリストは限られた国に集まっているように見受けられます。もちろん、各国に分散して、何時でも行動を起こせるようにスタンバイをしている人々もいることでしょう。都会は情報や資源(もの、ヒト、金)が密集しているので、特に狙われやすいはずです。何事もなく過ぎていくことを願うばかりです。話が逸れましたが、黄巾の乱の最中に、劉備玄徳は張飛、関羽という武漢と出会い、桃園の誓いを行います。「われら3人、生まれた日、時は違うけれど、ほにゃららふんふんふん」といった調子で(お酒の席での発言ですから適当)、義兄弟の盃を交わし、同じ日、同じ時に死ぬことを希望しました。この約束がクローズアップされがちですが、重要なのは、途中の部分です。「心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。」ここが、劉備玄徳の「徳のある人」という資質を表している文言です。この桃園の誓いの場面で、黄巾賊によって、暗雲立ち込めていた世界に、光が差したような、そんなイメージが湧いたのを覚えています。その先のストーリィを知らずとも、この三人が中心になるであろうことは、容易に想像がつきました。ということで、本日はここまでにいたします。三国志、ゲームでも大人気ですね。知らず知らずのうちに、武将の名前を憶えているゲーマーの人もいることでしょう。
4千年の歴史?