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ゆとり強化生活
最近、仕事においても、私生活においても、ゆとりを持って行動するように心掛けています。例えば、出社は1時間前にしますし、それに合わせて、起床も早くしました。といっても6時ですから、一般的には早起きとは言わないと思いますが、僕の場合、始業は8時30分で、自宅を8時に出発すれば十分に間に合います。ですから、7時に起きれば、朝の準備は出来るわけです。しかし、ぎりぎりまで寝ることにそれほど魅力を感じませんし、夜に睡魔と戦いながら作業を行うのは非効率なので、それなら早く寝て、早く起きたほうが、作業がはかどります。恐らく奥様は、逆の考え方で、夜は眠りに落ちるまでテレビを観て、朝はギリギリまで眠ります。ですから、朝は僕の方が先に起きることになるので、朝食は自分で準備をします。それに関して、何の不満もありません。食パンをトースターに入れて、2分間焼くだけですから、わざわざ彼女の手を煩わせるまでもありません。彼女と子供たちは、6時30分くらいに起きてきます。僕がキッチンでガサゴソやっているので、物音で目覚めるのでしょう。小鳥のさえずりでなくて申し訳ないと思うのですが、あれほど甲高い音は出せません。携帯電話の目覚ましのメロディにあったかもしれませんが、目覚めに影響はないでしょう。寝るも覚めるも本人の意思次第です。さて、仕事において、ゆとりを持つ事は、結局は自分の休息に繋がってくると考えています。どちらかと言えば、精神的な安定に寄与すると言えます。毎日、1時間早く自分の作業を開始すると、その日のうちにちょっとした急ぎの案件が入っても、対応することが可能です。むしろ、そういった案件が比較的多く発生する作業場なので、そうしている、という部分もあります。一つの作業の区切りがだいたい90分です。これを2台の設備で平行して行うのですが、1台の設備で最大、6回。2台では12回が最大値ですが、実際には、休憩やら他の作業の応援やらで、9回が限度となります。この段取りは1時間早く来て行う事で可能になってくるのです。時間内でこの作業を行うためには、休憩を無くさなければなりません。それは体力的に現実的ではないので、1時間の段取りをしている次第です。僕の仕事が遅い、という部分も否定はできません。だからこそ、時間をかけることで、納期を(安心して)守ることが可能になってきます。納期にゆとりがあれば、精神的にもうゆとりが生まれ、さらには体力的にも余裕が生まれます。ですから、この好循環は味わうと、なかなか代えがたいものです。同僚などは時間内で一生懸命やって、仕事を終わらせています。大したものだな、と感心するばかりです。僕はもう少し、自分の作業をテキパキできるよう、改善していかなければならないのですが、なんせ、身体が重くて動けないので、ゆっくりやることになります。身体が重いというのは、精神的な部分が影響しています。労働に対して、前向きになれない自分がいるので、どうしても後ろ向きに力が加わるのです。最も前向きな瞬間は、昼のチャイムが鳴って、昼食に向かう時ですね。こればかりは毎日楽しみにしているようです。会社の近所の仕出し屋さんのお弁当で、周りの評判はイマイチですが、僕はありがたく、そして美味しくいただいています。1食170円の自己負担で、バランスよく、しかも量も十分にありますから、非の打ちどころがありません。お腹も一杯になります。そうそう、腹八分目という言葉も、胃袋にゆとりを持たせる意だと思いますが、このゆとりはなかなか持つ事ができません。食い意地が張っているためです。この文を書いていて、もう少し修行が必要であると感じました。ゆとりは、行動によって生まれるというよりは、思考によって産み出されるものなのかもしれません。「急いては事を仕損じる」というのが、まさに言いえて妙であります。
ゆったりとした流れが贅沢