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オクトパスはピアニスト
ピアノの練習をしていると、1オクターブ離れた鍵盤を片手で弾く曲が、嫌というほどあります。というよりも、これくらいは出来て当たり前、と言わんばかりの憎たらしい楽譜たちなのです。楽譜を読むスピードは、とても遅いのですが、その理由は簡単で、ドの場所から数えているからです。ぱっと見て判るのが、ドです。これはト音記号でもへ音記号でも同様です。そんな読み方をしていますから、楽譜を読みながら弾く、という芸当は、たとえ単音でもできません。憧れますね、そんな技術。楽譜が頭に入ると、もう閉じて練習してしまうので、それも成長を妨げていることでしょう。ところで、オクターブという言葉を調べてみると、英語やフランス語ではoctaveと綴りますが、先頭の oct は8を表す言葉でしたね。8進数やタコも単語に oct がついています。だから、8度なのですね。勉強になりました。今後、ベートーベンの月光の原曲を練習しようと思うのですが、この曲は9度の部分があります。なぜ知っているのかといえば、YouTubeで月光の演奏動画を見たら、コメント欄に「全体的に弾きやすいが9度の部分がネック」と書いてあったからです。そうかぁ、9度かぁ、と思いながらすぐに言葉の意味を検索しました。なんとなくイメージは湧いたのですが、確認のためです。それで、実際に9度を片手(右手だけ)で押さえてみたのですが、上からでは、隣の鍵盤も押さえてしまうので、手前(水平方向)から指を伸ばして押さえることになります。これはやっかいですね。曲のテンポは比較的ゆっくりですから、なんとか弾けるように練習あるのみです。以前弾いていた楽譜は、アレンジされたものでしたから、何というか、全く曲の重みが変わってくるようなイメージです。しかも音程もアレンジされていたので、また新たな曲を始めるような気分で、返って良いのかもしれません。この歳になって、手の大きさにジレンマを覚えるとは、誰が想像できたのでしょうか。もっと指の体操をしておけばよかった、とか、もっと指を引っ張って長くしておけばよかった、というような、意味不明な後悔の気持ちが芽生えてくるのです。まあ、練習しているうちに、開くようにはなるでしょう。9度の鍵盤を押さえることができるのですから、演奏で求められるのは、正確性ですね。ピンポイントでしか押さえられないので、そうとうな精度が必要となります。少し気が遠くなりますが、遠いと分かっていれば、少しずつ進めば近づくことでしょう。1秒間に1cm歩くアリと、1秒間に1m伸びる糸の話しはご存知でしょうか?永遠に先端には届かないと思ってしまいますが、極限の考え方では到達することになるそうです。このカラクリは、糸が伸びる方向は必ずしもアリの進行方向だけではないという点と、アリの糸に対する位置は、割合で表されるという点です。例えば、全体の1%の位置に到達すれば、それより割合が減ることはなくなり、つまり、いつかは100%に到達する、とういう問題でした、数学が苦手ですから、はじめはキツネに騙されたか、タヌキにつままれたような気になりましたが、数式を見せられると、不思議と納得できます。数学ってすごいですよね。いえ、理解しているわけではありませんが、概念として、インプットは出来ました。すべてを理解していなくても、ある事象に遭遇したときに「そういえば、こういう考え方があったよな、と思い出すことができれば、儲けものです。僕の頭脳は基本的に浅く狭く、がモットーですから、これ以上を自分に求めないように、愛情を注いでいるのです。さて、ピアノの話から随分と離れましたが、クラシックは素敵な音楽ばかりで、夢がありますね。過去に対して、夢を見るというのは、矛盾しているようでもありますが、それだけ、人間は時間の概念が尊いと感じているからでしょう。
1オクターブ上のガーデン