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    ウナギ屋は儲かる?

    今日は雨が予想されていましたが、意外と晴れ渡り、気持ちの良い梅雨晴れ?になりました。遅ればせながら父の日のお祝いということで、父とウナギ屋さんに行きました。母からのプレゼントということでした。母はウナギ料理が苦手ですが、調理となれば、しっかりとうな丼を作り上げます。不思議なものです。酒を嫌いな人がソムリエになるようなものでしょうか。父は無類のウナギ好きで、事あるごとに「ウナギを食べたい」と口走るのです。それを聞いている母が、とうとう痺れを切らして、父の日のプレゼントとしてウナギをご馳走した、という事です。ご馳走を作ったのは、うなぎ屋の店主ですが。正午前に到着したのですが、すでに行列が出来ていました。6組ほどですが、一組平均3人くらいでしたから、18人は待っている状態です。待ち時間は、父とお喋りになりますが、食べ物の話から、ふと、戦後の話になりました。父は小学生の時に終戦を迎えたのですが、とにかく食べ物が無かったそうです。何を食べていたのか、思い出したくもないような物も、口にしていたのではないか、と想像します。そんな経験をしたからこそ、子供たちにはせめて食べ物だけでも満足に与えてあげたい、という気持ちが生まれ、本当にその通りに行動してきたと言えます。今でこそ、食べ物はそこら中に溢れかえっていて、毎日選ぶことが大変な作業になっていますが、単純に食べ物がない、という環境を知る先輩にしてみれば、「食べ物を粗末にするな」という教えは然るべきです。僕の世代でさえ、そのように教えられてきました。今の子供たちには、それがなかなか通じない。娘たちにアフリカの難民の映像を見せても、現実として受け止められないようです。遠い遠いどこかのお話だから、関係ない、という感覚かもしれません。現実として、目の前には数えきれないくらいの、食べきれないくらいの食料が所狭しと並んで販売されているのです。豊かな生活だからこそ、知るべき「貧しさ」というものがあるのではないか、と考えさせられます。それが、道徳という科目で扱われるサブジェクトではないかと思います。子供たちには贅沢よりも、貧しさを知ってほしい。それは、僕の単なる押し付けかもしれません。しかし、歴史を顧みれば、贅沢の先にあるものが破滅であるということは、明確です。「質素倹約」の精神は、僕自身がまず実践しなければ、子供たちも感化されないかもしれない、というジレンマもありますが、それが最も効果的かもしれません。という訳で、ウナギというご馳走を食べておいて言うのもアレですが、今後は質素倹約をモチベーションにしようかと思います。