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友のフランクな悩み
先日の日帰り祝福旅行は、出発が岐阜県、目的場所は大阪駅。交通手段は自動車で、移動距離は片道220km(直線距離はもっと短い)、往復で440kmでした。移動時間は片道3時間。往復で6時間です。ほとんど高速道路を走行していました。そうですね。だいたい400kmは、高速道路でした。速度は100km/hで4時間の行程ですね。残りの2時間は下道を走行していたことになります。途中で休憩を挟みましたが、1回あたり10分くらいの小休憩だったので、さほど移動時間に影響はありません。車中で実に6時間以上を過ごしていたのですが、出来る事といえば、お喋りか、歌うか、寝るか、黙るくらいです。基本的には、お喋りをしていました。4人のうち、一人(以下N)がお喋り好きなので、話題は彼を中心に始まります。これは、高校時代からの変わらぬ状態で、Nは、どちらかと言えば、波乱万丈な人生になるのかもしれませんが、それはあくまでも彼の話を聞いている限り、そう判断できるというだけで、実際のところは不明です。なぜなら、Nの行動を把握しているわけではありませんので。Nは、会う度に、何かしらの悩みを携えてやってきます。ここ最近、1年に1回は会っているので、悩みは、その間に生まれているようです。忙しい人生ですね。いえ、皮肉とかではなくて、彼がそれを望んでいるのが、行動からも明らかですし、発言も、そのように感じられます。僕は忙しい状態というのが、物凄く嫌なので、彼の行動や発言は、不思議なのですが、嫌悪を抱くという事はありません。むしろ、そういう考え方があるのか、という学びですね。何というのか、物事に対する執着が、Nと僕とでは違います。僕はあっさりしている方、というか、あまり物事に執着しないようにしているので、関わりたくないことは、たとえ自分の損失が明らかでも、関わらないようにします。Nは、正直者というか、自身では「キレやすい」といっていましたが、少しでも気に入らない事があると、つい、言葉が口からでてしまうそうです。しかも、その言葉が、あまり上品ではない、むしろ下品なのです。最近は、路駐している車のせいで、すれ違う事が出来なかったので、少しだけ待っていたら、お坊さんが現れ、車に乗ろうとしたので、すかさず「おい、坊主だからって何でも許されると思うなよ!」と言ったそうです。凄いですね。9割以上の人は、そんな事は思っても言えないですよね。Nは、それが言える人間なのです。決して品がある言葉ではないですが、お坊さんの車の止め方に問題があったことは明らかなので、彼は、決して間違った行動をとった訳ではないのです。ただ、言い方が悪かった、というだけの話しです。その出来事を他の人に話したら、「そんな事は普通言わない。」と指摘されたので、そこからNは「おれ、間違っているかなぁ?」と、悩み始めたようです。行動として間違っていないのは明らかですが、言葉のチョイスが残念です。それは、聞き手の3人共に同じ意見でした。Nは、その出来事があって、「キレやすい性格をなんとかしたい。寺に修行にでも行こうと思うのだが、みんなはどう考えるか?」と前向きな相談をしていました。なぜ、寺の修行を選択するのか、摩訶不思議ですが、そのあたりにNの個性が現れています。これは、大いに笑うところなのですが、知人でないと、判り難いですね。お坊さんに「おい、坊主!」と暴言を吐いた人間が、自身の行動を反省するために、寺に修行に行く、というのです。こういうのは、ミイラ取りがミイラになる、というのでしょうか。言いませんね。知っていましたよ、フフフ。それからしばらく話していて、Nは決して、寺でなくても良いが、自分をコントロールできるようになるセミナーに参加してみようと思うが、どうだろう?と言い出し、その辺りで、ああ、これは真剣かもしれない、と気づいた僕でした。彼の悩みを真摯に受け止め、「好きにしたら良いと思うよ」と助言しておきました。友人にまで関わらないようにする、僕の性格は、一度、考え直した方が良いでしょうか?いえ、そんな事で悩んでなんかいられません。時間の無駄だと感じます。僕は僕、NはNです。磁石だって、どう頑張っても、S極はS、N極はNの振る舞いをします。僕は、個人の考え方を尊重する、という立場です。しかし、彼が本当にお寺に修行に行ったら、笑わずに、賛辞を贈る所存です。たとえ、修行後の言動に変化がなくとも、です。
清水の舞台